SARSが残した教訓

アジアに残ったSARSの爪痕

SARSは、未曾有の損害を旅行業界に与えた。特にベトナム、香港、中国、シンガポール、台湾などのアジア諸国では、観光業に従事する多くの人々が失業した。しかし、彼らは実に逞しい。「今は仕方ないですよ。今にきっと良くなりますから」と笑いながら取りあえず別 の仕事をし、良くなったらまた観光の仕事に戻ると言う。考えてみれば、彼らは、環境の変化に対応する術を歴史の中で身に付けている。良い意味での緩衝材が社会全体の中にもあるように思う。困ったら助け合う共同体や親類縁者の関係も強い。

台湾が挽回を図ろうと、無料で自国へ1000名も招待したり、香港が復活イベントを開いてPRをするといったことは理解できる。官民一体となって観光客招致に必死である。空港でのSARS対策も続いている。一方、そうした国々に観光客を送る日本の旅行会社の対応は、大手旅行会社を先頭に、「激安ツアー販売合戦」を益々激化させた。「激安ツアー」には、ダウンタウンから遠い安いホテルを使っているとか、現地のガイドがつかないで、添乗員がガイド役を務める。食事がお粗末。観光と称して、土産物屋に連れていかれるといったそれなりの理由がある。しかし、今回は、従来はパッケージツアーのお客様を受け入れなかった5スターのホテルを使ったものや、どう考えても、現地は赤字で引き受けていると思うような商品が数多く出てきた。新聞紙上を飾る格安海外旅行にはもう殆ど驚かなくなった消費者の方々も、「今までの値段は何だったのか」「どこまで安くなるんだ」といぶかしく思った方も多いことだろう。

地道な旅作りを

アジアを襲ったSARSの激震の余波は企画にも影響を及ぼしている。いくつかの旅行企画に派手で短絡的な傾向が見られたからだ。
今年アンコールワットの玄関口シュムリアップや、オーストラリアのエアーズロックへのチャーター便が業界で話題になった。「より短期間で、見たいものだけ見て来よう」という発想なのだろうが、「旅」とは本来そんな物だろうか。旅作りとしての創造性を掻き立てるものがそこにはないように思う。確かにリゾートで優雅な時を過すという「旅」もあろうが、その国の文化、習慣、そして人々に直に接してこそ、「旅」と言えるのではないか。そのためには、それなりの「時間と過程」が必要だ。
私の古いお客様で、カンボジア支援のNGOを主催されている方が、毎年、高校生、大学生を中心に夏にスタディーツアーを行っている。アンコールワットという文化を生み出したカンボジアという国の歴史と現状を学び、現地の人々と交流するしっかりした内容になっている。私も現地で受け入れを行っているカンボジア人スタッフと会ったが、彼の「カンボジアの大きな問題は、教育を受けられなかった若者が大多数だと言うことです。」という言葉が今でも耳に残っている。
「旅作り」は意外と地味な仕事である。細かなことにこだわり、それを実現するために、一つずつ確認していく。しかし、時に派手な企画に奔ったり、目先の集客に目が行ってしまったりする。弊社でも嘗て、南極でミレニアムを迎えようという企画を立て、普段は地中海でクルーズをしている約600人乗りの船でドレーク海峡を越え南極に行こうと計画したことがある。南極への航海は、通常、砕氷機能を持った約100人乗りのロシアの科学船が使われる。そもそも、そんな大型船では、南極大陸に近づけないし、上陸するために15人乗りのゾディアック(ゴム性のボート)に乗換えるのに何時間も掛かってしまう。それでも、企画の大きさに目がくらんでしまった。結果としては中止したが、今から思えば、南極ツアーとは何かというこだわりを最初から持っていれば、当初から無理な企画だと判断できたはずだ。

SARSの影響で旅行会社は、現在、確かに苦しい状況を迎えている。
弊社とて例外ではない。しかし、派手な企画でなければ本当に売れないのだろうか。自社のこだわりをきちんと形にし普通 に企画すれば、お客様は理解してくれるはずだ。こんな時こそ原点に返り、地道な努力を重ね、一歩一歩重ねて行きたい。

やはり旅は素晴らしい

SARS は、文明が如何に発達しようが、人間が自然を征服することなど到底できないことを改めて示してくれた。それにしても、「風土病」という概念はもう成立しないかもしれない。経済も人の動きも嘗てとは比較にならない程グローバル化し、良いことも悪いことも一遍に世界に広がるからだ。しかし、SARSに限らず、これらの病気を心底おそれるなら、家に閉じこもっているしかない。勿論、生活するためにはそんなことはできないし、「旅」に出ないで何時までも我慢することが、果たしてできるだろうか。フラストレーションがたまって健康に悪いことこの上ない。落ち着いて考えてみれば、SARSはそんなに得体の知れない悪魔のような恐ろしいものだったのだろうか。もともと世界には、未知なる感染症や、既に先進国では殆ど症例がなくなった病気が存在する。私たち日本人は、今までこうした実態にあまりにも無警戒過ぎたことは確かだ。SARS流行以前から感染症の危険性は存在している。WHOや関係諸機関の努力はあるとは言え、安全を保証してくれるものではない。私たち、旅行会社とて、100%の安全など保証し得ない。私たちにできることは、現地の情報をお客様に正確に伝え、危険を回避する対策を提案することだけだ。
肝心なことは、こうしたリスクに、自覚的になって、海外に出掛けるということだと思う。「手洗いうがいの励行」は、何もSARSだけの対策ではない。インフルエンザ対策としてもこれに優るものはない。日常的に身に付けて戴きたい習慣だ。私自身、海外に出掛けるときは「自分を守る手段を自分で持たねば」と考えている。

また、海外が危険で日本が安全ということでもない。「O157」もあるし結核もまた頭をもたげて来ている。予防接種が15年ほど前から自主的摂取になったために、様々な感染症に抗体を持たない人が日本でも増えている。子供の病気と高を括っていた風疹ですら、妊婦が罹れば大変な結果になりかねない。対策をとらないでむやみやたらに恐れるのはいずれにしても止めたほうがよさそうだ。
「旅」は、もはや、私たちに潤いと感動を与えてくれる欠くべからざものになっていると私は思う。日常からの解放感と未知なる物に触れたときの驚きは、「旅」以外ではなかなか味わえない。私たちにとって、それをお客様と共有することは大きな誇りであり喜びでもある。

SARS渦にあっても弊社のツアーに参加して下さったお客様に、この場を借りて心から感謝致します。

※風・通信No17(2003年冬号)より転載

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