ソニーの歴史から省みる自社

ソニー業績不振のニュースを受けて

「ソニー11年ぶりの赤字」・・・「やっぱりそうか」そう感じたのは私ばかりではなかったと思う。一面 トップとはいえ、扱いはかなり控えめで、一企業の沈没を報じたものに過ぎなかった。03年4月に大幅減収を発表したときは「ソニーショック」という現象を巻き起こし、私も「あのソニーが?」と衝撃を受けたが、今回は寂しさの方が先にたった。

こんな機会にと、初めてソニーのホームページを見てみた。トップ画面はとても簡素で左から、エレクトロニクス、ゲーム、音楽、映画、金融サービス、インターネット/ライフスタイルという6分野のメニューバーが並び、ソニーがどんなことをやっているのか一目で分かるようになっている。しかし、日本を代表する、「モノづくり企業」という先入観がなければ、エレクトロニクスだけが違和感を放っているように見える。ホームページ上では、エレクトロニクスはたったの1/6でしかない。エレクトロニクス部門の調子が悪ければ切り捨てればいいと思えるくらいの扱いだ。しかし、実際は、05年度売上見込額約7兆円のうち62パーセントをエレクトロニクス部門が占めている。「総合エンターテインメント企業を目指す」というのがソニーの戦略だと言われるが、どうも、私の頭の中で、テレビに代表される「モノづくり」と映像や音楽配信などのエンターテインメント事業が一体化しない。これでは、色々な文化が混在し社員がアイデンティティーを共有しにくい。それでもソニーのCIは「ユニークで楽しい」という言葉で表現されるのだろうが何だかぼやけていて実態が見えない。ベータマックスを生んだあの気骨さと、ウォークマンの先進性と、「It’s a Sony」という強烈な個性はどこへ行ってしまったのだろう。

失われた精神とモノづくりの重要性

「設立趣意書」なるものをホームページ上の「歴史」の中に見つけた。1946年5月、前身である東京通信工業株式会社が設立されたときに、創業者の井深大氏によって書かれている。「会社設立の目的」の第1項目目には「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」となっている。また、「経営方針」の第3項目目には「単ニ電気、機械等ノ形式的分類ハサケ、其ノ両者ヲ統合セルガ如キ他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ」とある。やはりソニーらしさは、設立当初のこうした哲学に根差している。井深氏は「設立趣意書」を取締役の太刀川氏に預けたまま忘れてしまったそうだが設立当日の挨拶では、その内容と寸分たがわないことを以下のように述べたそうだ。「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。我々は大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう」、挑戦、自己の技術力に対する自信、社会的責任が謳われ実に気概に満ちている。

今回の、沈没の原因は、本業のエレクトロ二クス事業でヒット商品を出せなくなったこと、特に液晶テレビで出遅れたためだという。具体的に言えば、韓国のある会社が持ち込んだ薄型テレビの技術をソニーは見向きもせずに断ってしまったことにある。当時、ソニーは「技術を見る目を失ってしまった」と厳しく評された。「技術を見る目」とは、技術の革新性と価値、そして、その技術の先に何があるかを見通 す目のことだと思う。1989年に米国コロンビアを買収したあたりからソニーは急激にソフト産業にシフトしていった。その結果、技術者の育成を怠り、「モノづくり」の精神を失ったと言われている。あの日産は、「技術の日産」と言われていたが経営に失敗した。カルロスゴーン氏は、見事にそれを立て直した。もし、日産が技術をも失っていたら立ち直りは難しかっただろう。そういう意味ではソニーは、意外と重症かも知れない。
それでも、ソニーブランドには、他社にはない圧倒的な期待感と信頼性がある。街角のインタビューでは、「ソニーらしいもの、もっととんがったものを作ってほしい」そんな声が聞かれた。今の子供たちにとっては、ソニー=プレステになるのかもしれない。ソニーは、「楽しいものを作ってくれる」とやっぱり期待している。シャープには、誰もが知っている液晶という看板技術がある。ソニーは、看板技術ではなくて、でき上がった商品の「おもしろさ」や「楽しさ」が「ソニー」らしさになる。
専門家の評価では、デジタル化が進んだことで投資回収ができないうちに商品が目まぐるしく変わるので、ソニーだけでなくどのメーカーも「モノづくり」に時間とお金をかけられなくなったと言われている。しかし、シャープが大阪万博の時、出店するか否かで迷い、結果、出店をやめて研究所を作ったことで成功したという例もある。やはり、「モノづくり」にとって研究開発にお金と時間と人を投入することは最優先課題である。アジアを中心にして海外へ海外へと出ていった工場が、最近、九州を中心に日本に戻ってきている。多品種少量生産型の付加価値商品は、技術力の高い日本で作る方が効率がいいそうだ。何だか、嬉しいニュースだ。最近は、インターネットで大きな利益を上げている会社が目立つ。等身大からどんどん遠くなっているように思う。それは、この国の文化をも変えていくかもしれない。果たして良いことだろうか。甚だ疑問である。

自社を振り返って

前出のソニーのホームページの「歴史」の中に「SONY HISTORY」が掲載されている。2部構成で全25章という長文だが、その最後を「いつの時代においても、ハードウエアとソフトウエア技術を通じて、ソニーは人々に新たな楽しみを提供する企業でありたい」と結んでいる。翻って自社のことをあれこれ考える。会社の規模から何からソニーに比べるべくもないが、「自分たちにしかではできないことをやろう」という思いは同じである。ソニーほど日本の企業の中で早い段階からブランドを意識した会社は少なかろう。「It’s a Sony」は斬新で衝撃的だった。一つ一つの商品も大切だが、それを生み出す会社そのものを知って欲しい。そんな思いで「風・通信」や風のホームページを作っている。私たちも、「風らしさ」を作っていきたい。「風がやるなら面白いに違いない」と思っていただけたら最高だ。それに応える努力は大変ではあるが、それが私たちの仕事であり誇りとなる。

私たちは、この夏からホームページ上でアンケートを公開し始めた。甘えを排し品質向上に努めようと始めたことだが、正直申し上げて、対応に追われ改善が追いつかず繰り返しご批判を戴くこともあった。品質を上げなければ、ブランドビルディングなんてほど遠い。どんなに見てくれを良くしても、中身のないものはブランドにはなりえない。ブランドは、作り上げるのも大変だが、それを維持することはもっと難しい。やはり、頑固さが必要だ。ソニーの復活を楽しみに待とうと思う。

※風・通信No25(2005年冬号)より転載

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