命について

「命」をキーワードに考える

今日は「命」の話をしようと思う。
私が卒業した旅行産業経営塾の山田学塾長は、年末のある研修会で「今ほど「命」が軽んじられている時はない」とお話をされた。幼い子供たちが殺されるという事件はもちろん、マンションなどの耐震強度偽装事件も、「命」を軽んじていることに問題の本質があると指摘された。言われてみれば当然だ。当然すぎて誰も正面から言わない。しかし、知ったかぶりをして、複雑化した社会現象を、あれこれ原因を探って云々しても益々分からなくなってしまうだけだ。学校の警備体制がまずい。地域の監視の目が必要だ。法律に問題がある。民間に検査を任せるべきではなかった。等々、対策はいっぱい出てくるが、なんだかモグラ叩きみたいで空しさを覚える。本質は何だ、という議論がないからだと思う。2年ほど前の話だが、弊社のネパール人スタッフの奥さんが「テレビを見ていると日本は怖くていられない」と言って母国に帰ってしまったことを思い出す。日本で働く外国人達はどんな目でこんな日本を見ているのだろうか。「この国は、毎日、子供が殺されてばかりじゃないか。一体どうなっているんだ!」そんな会話がアジアから来た外国人の間では囁かれているそうだ。日本は、戦後60年、この間、戦争のない平和な時代を過ごして来た。歴史上、これは画期的なことであり大いに自慢できることだ。世界では、絶えず紛争や戦争で人々が死んでいる。少年まで兵士として借り出される社会が良いはずはない。そんな国々の悲惨さから比べれば、幾ら平和ボケだと批判されても日本は良いと思う。本来なら、他の国々から「日本のような平和な国にしよう」と目標になっても不思議はないくらいだ。しかし、現実は、そうなっていない。アメリカばかり気にしていて、独自国家としての哲学がないと批判されるが、日本人が、ごく自然に「命」の尊さを第一義にした社会を築けば、きっと尊敬されるに違いない。日本人くらい命を大切にする国はないと評価されたらきっと世界の目も変わるだろう。

「命」の重みが違う不平等社会の到来

最近、「下流社会」という本が話題だ。著者の三浦展氏は「ある傾向の意識を持った人々は、自分を下流と規定し、しかもそれに満足している。実際収入も低い。」と分析している。「ある傾向の意識とは」なんと「自分らしく生きたい」ということだから驚きだ。かつては、ポジティブな生き方の表現であったが、現在は、「一人でいるときが一番自分らしい」と自分の殻に閉じこもる極めて消極的な意識だそうだ。更に同氏は、近々、上流15%、中流45%、下流40%位になると推測している。しかも、この階層分化が何代かにわたって固定化するという。一億総中流と言われたのはもう遥か昔の話。米国型の貧富の差が激しい二極化した社会になってきたということだ。私は、あまり好ましい社会だとは思わないが、横並びの高コスト体質では日本はたち行かないことは明白だから、仕方ないのかもしれない。しかし、人間が、階層を前提に人を見るようになったとき、「命」の重みまで違ってくるのではなかろうかと心配だ。嘗て、バンコクの病院で、薬を現金で買って医者に渡さないと治療をしてくれなかった経験を思い出す。世界では、病院も教育も住宅も階層で分かれているのが通例だ。日本はその差が余り目立たず、人は「平等」に扱われてきた。それは、命の重さは同じという基本的な考え方があり、その原理で社会制度が作られて来たからだと思う。何も、一部の金持ちだけを救うならば、医療保険制度は必要ない。それにしても、こんな「平等社会」を自ら放棄し、壊していく若者がどんどん増えているのだから、嘗て働く者の権利を確立してきた人々からすれば絶句するしかない。

「死」を見つめて「命」を考える

人は、「死」を目の前にした時に「生」を自覚すると思う。私は、自分の子供たちを可能な限り身内の葬式に参列させるようにしてきた。子供は参列不要という考え方もあるが、私は、頑固に学校を休ませても彼等を連れていった。彼等からすれば、殆ど面識のない曽祖父母の葬式は否応なしにたたき込まれた大人社会だったと思う。亡骸を納棺する場に立ちあう。棺の蓋を閉め石を使って釘を打つ。曽祖父は93歳で曽祖母は95歳で亡くなったから二人とも人生を全うしたといえるが、淡々と進む儀式の中で、人々は静かな悲しみに包まれる。この時間を子供も共有することが「命」を感じることになると私は思う。私自身、5歳位の時に曾祖父の葬式に出たことがある。曾祖父が棺桶に入っている姿を今でもはっきりと覚えている。当時は、私の田舎はまだ土葬だったから墓穴の中に棺が入っていく姿も覚えている。その所為で暫くの間は「人間は死んだらどうなるんだろう」という言い様のない不安にも襲われた。怖い夢を何回も見たりした。しかし、私にとっては、これが、「生」を考える原点になった。

柱を失わない

考えてみると、私たちの仕事は、本当に危険と隣り合わせである。比較的安全な旅行もあるだろうし、殆どフリータイムばかりのツアーならば、あまり自分たちの責任を感じる必要もないかもしれない。旅行会社は手配しているだけだから。しかし、弊社は、高山病の危険を承知で高所トレッキングを企画しているし、落馬の危険があるモンゴルの乗馬ツアーを行なっている。そうでなくても、そもそも旅は、多くの危険を孕んでいる。手配したバスが谷から落ちるかもしれない。事故を起こすかもしれない。飛行機だって心配だ。そう考え出したら、家に居るしかない。しかし、地震が来てマンションが倒壊し死んでしまうかもしれない。私たち旅行会社の存在意義は、個人では出来ない最大限の危険回避と安全確保に努めながら、旅という感動を創造することだと思う。今まで、あまり評価されてこなかったが、旅行会社は、全面的ではないにしろ「安心と安全」を保証している。最近は、個人で旅行される方が非常に増えたが、事故が起きた場合は、全て自分の力で解決しなければならないことはあまり考慮されていない。国内と違って海外は、はるかにリスクが高い。2004年年末のスマトラ沖の地震では、旅行会社を通して現地に行っていた方々の安否はすぐに確認され、時をおかず救援活動が開始された。この機能をもっと高く評価していただけるよう、私たちも努力が必要だ。また、私たち旅行会社は、法律で無過失責任を負わされていることを殆ど知られていないのも残念だ。旅行会社は、お客様がツアー参加中に事故でお亡くなりになれば、2500万円を払わなければならない。飛行機事故や自由行動中に交通事故でお亡くなりなったとしてでもある。そのために保険を掛けて備えている。

こうして「命」というキーワードを通して、私たちの仕事を見つめ直してみると、私たちの仕事の柱が見えてくる。企業だから利益を戴かなければ生きていけない。しかし、コスト優先で命をないがしろにしてはいけない。冷静に考えれば誰でもわかることだ。しかし、一本芯が通った理念が、企業風土として定着していないと、ついいい加減になってしまう。彼等は「命」という言葉すらきっと忘れていたに違いないし、企業内にもそれを質す風土がなかったということだ。倫理観は集団になると曖昧になる。人を批判してもやじ馬になってしまう。自社と自らを反省したい。

※風・通信No26(2006年春号)より転載

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