エコツアーとエコツーリズムについて

去る9月14日、ツアーオブザイヤー(主催:ツアーオブザイヤー実行委員会、委員長:兼高かおる氏)で風カルチャークラブが企画した「自転車でヒマラヤ縦断」のツアーが「エコツアー企画賞」を受賞しました。普通なら手放しで喜ぶところですが、担当の嶋田君は、すこし浮かぬ顔で「受賞したことは大変嬉しいんですが困りました。どうしたらいいんですか。エコツアーとして企画したんじゃないのに。いいのかなあ。」確かに、少々趣旨が違うなあということで、私が、ツアーオブザイヤーの事務局と話をしましたが、今年の6月にエコツーリズム推進法が成立したこともあり、エコツアーをもっと広めていきたいとのことでした。その趣旨にはなんら反対するものではありませんので、細かなエコツアーの規定はともあれ、ありがたく頂くことにしました。

しかし、実は、風の旅行社では、「エコツアー」を冠するツアーは一つもありません。でも、エコツアーをやっている会社として外からは見られたりします。大自然をフィールドにしたツアーが多いことや、風カルチャークラブの「自然を、見て、触れて、五感で楽しむ」というテーマのツアーがそう見せているのかもしれません。実際、弊社は、日本エコツーリズム協会の法人会員でもあり、私は、同協会の理事もしています。ここら辺で、少し整理しておく必要があると感じていました。

エコツアーは、そもそも、途上国において、森林伐採をせずに、現金収入を得る方法として、森を見せるツアーをやったことが始まりです。エコツーリズムは、エコツアーという手段で、森林伐採などの自然破壊型の開発にストップをかけ、自然を保全しながら経済活動をしていくという産業転換を促す考え方として注目さたのです。

私は、十年ほど前になりますが、パプアニューギニアの或る村にホームステイをしたことがあります。その村を含めた幾つかの村がマイカットという協同組織を作って森林伐採を阻止して森林を守っていました。村へいくには空港から海岸伝いに延々と歩くか、小舟で行くしかありません。森林伐採を阻止するということは、道もできないということなのです。村人はTシャツと短パンは身に着けていますが、私が少年のころテレビで見た「素晴らしい世界旅行」の世界がそこには広がっていました。マイカットがやっているショップ(小屋)には、塩、砂糖、電池、米、など最低限の品物が数点あるだけです。人工物は必要最小限の食器などを除いてほとんどありません。実に清潔で澄み切った透明感が支配する世界でした。夕食は、村人達と一つの小屋に集まって会食です。それが終ると、ミーティングです。「現金収入がないと生活ができない。森を売ったら最後、この平和な生活はなくなってしまう。今は、ビートルナッツなどを都会に売りに行って現金を少し稼いでいるが、エコツアーを是非やりたい。」そう切実に訴えていました。

森林を売るとどうなるのでしょうか。一時的にはお金が手に入ります。しかし、森林伐採が終ると、業者は、他へ行ってしまうため現金収入の道がなくなり生活ができなくなります。森林があれば、焼き畑でタロイモをつくり、家は、森から材料を取ってくればすぐできます。お金はかかりません。森林を売ったら最後、もう元の自給自足の生活には戻れないのです。即ち、森林伐採によって、彼らは貨幣経済に一挙に巻き込まれ、現金収入がなければ、屋根の補修すらできなくなります。何故なら、屋根はトタンに代わっているからです。結果、現金収入を求めて都市に流入し貧民化してしまいます。

では、森林さえ守れば良いかというとそうではないのです。子供たちを学校にやるには現金が必要です。だからエコツアーを!という論理なのです。実際、それで成功している村もあります。私が訪れた村は、日本人が訪れたのも初めてで、ほとんど外来者はやってこない村でしたから真剣でした。

こう考えるとエコツーリズムは、実に分かりやすい考え方です。しかし、エコツアーに関する考え方は、様々な立場から色々な主張がなされ一時大いに混乱しました。環境保全が強調され、「液化燃料を使ってエコツアーなんてありえない。飛行機や車は使うな。保護地区には環境保全のために一切立ち入り禁止にすべきだ。」などという随分ストイックな考え方が主張されたこともありました。また、ゴミ拾いをしたり、バイオ燃料を使えばエコツアーみたいな実に短絡的な解釈まで出てきました。旅行会社の中には、宣伝文句として利用し何でもエコツアーにしてしまうようなところまで出てきました。カブト虫採取ツアーまでエコツアーだといって販売している会社もあったくらいです。本来の姿から考えると随分おかしな方向に行ってしまいました。

一方、観光業の実態は、自然を破壊し続けています。例えば、大規模なリゾート開発などで自然破壊は今も繰り返しされています。開発された地域の人々は、農業をやめて土地を売ってしまったり、畑を駐車場にしたり、漁師をやめておみやげ物屋を始めたりしましす。しかし、ブームが過ぎて観光客がこなくなったら廃墟のようになってしまった観光地がいっぱいあります。自然はもちろん、その地域の人々の生活は、もう元へは戻りません。構造は、ニューギニアの村とよく似ています。こうしたことへの反省が最近は強く叫ばれサスティナブルツーリズム(持続可能な観光)という考え方も生まれてきました。
現在も、エコツアーには、様々な解釈があって、これでなければダメだということはないようです。しかし、私は、少なくとも、環境保全への配慮と、環境教育的なプログラムが含まれ、インタープリター(解説者)が付いていることが必要だと思います。また、地域の方々が、自分たちの生活の場としての環境や、暮らしや文化、習慣、歴史を守るという側面も重要だと思います。エコツアーに限りませんが、そのツアーに参加して、自分の生活に戻ったときに、じわっと自分の生き方を見つめ直すような残像感が欲しいものです。

旅とは、本来、楽しみ方は様々で、好奇心の赴くがまま自由奔放にというところがあります。今後も、弊社は、エコツアーを冠するツアーを作る予定はありません。むしろ、エコツアーなどと称さなくても、環境の問題を無視することなどできないし、モンゴルの「ほしのいえ」やネパールの「はなのいえ」に象徴されるように、どんどん内容はエコ的になっています。

今、人類は、環境破壊を止めることができず、果たして子々孫々にこの世界を引き継ぐことができるのかも分からなくなっています。あの、ネパールと中国の国境の町、コダリの境界線の川は、ゴミ捨て場と化し嫌悪感すら覚えます。モンゴルの草原にゴミが増えてきたし、砂漠化はどんどん進んでいます。本当に何とかならないものかと叫びたくなります。そんな中で、本年6月、エコツーリズム推進法が全会一致で国会を通過しました。10年前に、こんなことを予想した人はいませんでした。エコツーリズムは、もしかしたら、こんな状態を払拭していく武器になるかもしれません。アジア各国にも着実に広がっていくものと思われます。是非、そうあってほしいものだと願います。

※風・通信No32(2007年秋冬号)より転載

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