成長から安定調和へ

派遣切り

派遣切りの問題が毎日テレビで報じられている。今や、全労働者の1/3が非正規社員だそうだが、何故こんなひどいことが起きるようになったのだろうか。派遣会社に務める知人に聞いたら、そもそも労働者派遣制度は、高い能力や専門技術を持つ労働者が会社の枠に縛られず柔軟に働くことができる、との名目で 1986年に導入されたが、2004年に物の製造業務の派遣が解禁になったことで、その本来の目的から離れ余剰労働力の調整弁として位置づけられるようになった、ということらしい。
更には、実は2009年問題といって、派遣労働者の契約期限が3年の満期を向かえ、更に延長する場合は正規雇用化することが企業に義務付けられているので、各企業は負担増となる。かといって契約を解除すれば一遍に労働力不足になると懸念されていた。ところがこの不況で2009年問題は吹っ飛びそうだ、というから皮肉なものだ。
実際テレビの報道では、北海道から広島の工場に住込みで派遣されるなど、出稼ぎ労働者も今や派遣労働者になっていることに驚いたし、殆どの場合、正規社員になれず仕方なく派遣に甘んじているのが実態だと知ってその深刻さに更に驚いた。弊社でも繁忙期には派遣をお願いすることはあるが、誠に恥ずかしながら、大抵の派遣社員は「正規社員のような束縛がないから自由でいい」位に考えて派遣社員を自ら選択しているのだろうと、私は過去の経験から思っていたので大いに反省した。それにしても、一年ほど前は好景気を背景にアルバイトも見つけられないほど労働力不足が叫ばれ、ユニクロなど正規社員化を進める企業もあったのに変われば変わったものである。

金融賭博という愚行

今回の経済危機は、米国の証券会社と投資家連中が夢中になっていた金融ゲームが破綻したことが原因だから、日本の経営者は、どこか自分の所為じゃないという思いがある。しかし、あまりにも急激で落ち込みの幅が大きすぎるので悩んでいる暇がない。とにかく何らかの手を打つしか仕方ない。何しろ先が全く見えない。これくらい経営者にとって怖いことはない。そもそも、金融ゲームをしていた連中は住宅価格が何時かは下落することも、その結果がどうなるかも解っていたはずなのに、自分だけは尻尾を掴まれないようにとゲームを続け、儲けるだけ儲けてダメになったらさっさとトンずらしてしまった。アメリカは自由主義経済だから政府は市場に介入しないというが、100%リスクがないなどという学者の虚言を信じて、デリバティブ取引という金融賭博と言われてもしかたがないような愚行が、全世界を100年に一度の経済危機に巻き込んでしまった。アメリカに賠償責任を求めてもいいくらいの話じゃないだろうか。

企業は成長し続けるもの?

とにかく、経済も政治ももはやその影響は自国だけの範囲では済まなくなっている。トヨタの売上の8割以上が海外だという話を聞くと、なるほどそんなにグローバル化は進行していたのかと驚いてしまう。しかし今回はそれが仇になった。他の会社もほぼ同様である。全世界がダメではもう逃げ場がない。これこそがグローバル化の行き着く先である。
トヨタは、ご存知の通り、このグローバル化を進めることによって、2003年に1兆円の連結経常利益を日本の企業として初めて記録し、2007年には2兆円を超え多方面から絶賛された。旅行会社がこんなに利益を出したら、カウンターでお客様に厭味をこれでもかと一杯言われそうだが、何故かトヨタに対して、儲けすぎだから車をもっと安くしたらどうかなどとは誰も言わない。逆に日本のものづくり産業の象徴であり誉れであると受け止められている。トヨタはきっと直ぐに復活するだろし、まだまだ成長していく会社だと私は思う。
しかし、膨張し続ける世界経済は、私たちの生活実感から遠く離れて、ますます大きな危険を孕むようになった。一旦破裂するとあっという間に一人一人に襲い掛かってくる。誰にも止めようがないのかもしれないが、どこかで軌道修正しないととんでもないことになりそうな予感がする。
そもそも翻ってみれば、企業とは何処までも成長していかなければならないのだろうか。BRICsをはじめ世界中の企業がこのまま膨張を続ければ、世界の資源は枯渇し環境が破壊され地球そのものが壊れてしまう。自由主義経済は無限大の成長なくして維持できない。ところが地球は有限である。ならば、どこか、一定のところでバランスを保ち、永続的な安定調和を志向しなければならない。企業経営の世界においてもサスティナブル(持続可能)という考え方を導入してはどうだろうか。

鰻屋のおやじの言葉

先日、保険会社の知人と世間話をしていたら、あるテレビ番組に出ていた鰻屋の親父の話になり、その親父が「世の中、調子の良いときも悪いときもある。昔からそんなの同じだ。世の中の役に立つことを、まじめにこつこつやっていればいいんだよ。そうすりゃあ、大丈夫さ。」と妙に哲学的なことを言っていて感心した、と話してくれた。なるほど、難しく考えちゃいけない。昔の人は、よく世間の役に立っていることを誇りにしていたように思う。原点はどうもそこら辺にある。

※風通信No36(2009年2月発行)より転載

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