西域をゆく −シルクロードツアー再開−

シルクロードツアー再開

去る3月5日から中国・新疆ウイグル自治区のウルムチ、カシュガル、トルファンを回ってきました。昨年の7月5日に起きた“暴動”以来、新疆ウイグル自治区へのツアーが出来なくなっていたので、私自身が視察し、ツアー再開の道を探ることが目的でした。
ツアー中止の最大の理由は、国際電話が遮断されたことにあります。私どもには、お客様の旅程を管理し、安全を確保する義務があります。国際電話が通じないのでは、それが果たせないと判断しました。2月からようやく国際電話が繋がるようにはなりましたが、事件直後の7月7日に出された外務省の「渡航の延期勧告」は、そのままでした。
ウルムチに着くと、弊社と一緒にツアーを作っている新疆華運国際旅行社(以下、華運)の李洲、趙海龍、恵強の三氏が出迎えてくれました。久しぶりの再会です。外は零下16度の寒さでした。
華運では事件以来、仕事が激減しました。中心スタッフ4名は、蓄えがあるからと自分たちは無給にし、若い社員は生活が困るだろうからと給料を払い続けていました。ガイドは一旦解雇され、田舎に帰って葡萄畑や遊牧の手伝いをしていましたが、皆ツアーが再開したら、ガイドの仕事に戻りたいと言っているとのことでした。
現地は、すっかり平穏を取り戻していました。ただ、ウルムチでは、民族間のわだかまりが残っているので危ないと予測される所はツアーから外しました。カシュガルやトルファン等では、そうした心配はないと確認できましたので従来通りとしました。更には、ガイドの携帯電話は、いつでも繋がるようにしておくこと、万一国際電話が繋がらなくなったときに備え、衛星電話をいつでも借りられるよう準備すること、国内電話を使って北京などを経由させる連絡態勢を整えておくことなどを確認し、ツアーを再開させることにしました。
もちろん、華運という会社のチームワークの良さとスタッフのまじめさがあってこそ、ツアー再開の決断ができたと私は思います。人のことを心から思いやることができる彼らなら、お客様を任せても大丈夫だと改めて感じました。早くもGWには、添乗員付きでツアーが出ました。参加して下さった方々に心から御礼申し上げます。

想像こそがシルクロードを楽しくする

私は、シルクロードや西域と聞くと、日本人の原点に触れるような一種独特なロマンチシズムを掻き立てられます。単なる辺境への憧れとは違います。もちろんウイグル族ともイスラムとも、日本は大きく異なっています。しかし、日本の文化の源流は、きっと西域から来たに違いないと思うのです。

司馬「壮観でしたねえ。ちょうど日本の北海道から九州までの長さぐらいあるということでしょう。…なんだか赤黒いギザギザなものが出てきたと思ったら、それが天山ですね。昔から「天山」という名を聞いただけで興奮したわけですが…山そのものは一木一草とてない感じでした。」
井上「…長さが2,000キロ、幅が400キロの山というのは、ちょっと想像もできません。」

司馬遼太郎と井上靖の共著『西域をゆく』の対談の中で、両氏はこう述べています。この対談は、お二人が夏に西域にいった1977年の11月25日に行われています。今から何と30年以上前です。

井上「(西域)それは「文化の道」ですからね。…そこを通って、いわば渾然一体となって法隆寺に、奈良、平安の古都に流れ込んでいるわけです。」
司馬「どうも私どもの血肉になって日本文化のコア(核)にすわっているようですね。」
(中略)
井上「…交河城も、高昌城もみました。…感じたことは、あの土の遺跡がどうして残っているか、ということですね。…土地の人が、こわくて近寄れなかったのではないか。…おそれだと思います。」

(中略)
司馬「交河故城というのは、なかなか行きにくいところですから…行ったときは、落日まえの荒涼とした状景です。…そこで感じたのは、なんといっても、こわさでした。非常に原始的な、一種異様なこわさの感覚です。」

(『西域をゆく』井上靖/司馬遼太郎著(潮出版社)より)

面白いですね。私もトルファンで両遺跡に行きました。想像力が足りないのか、こわさは感じませんでしたが、やはりあれこれ嘗ての人々の暮らしなどを想像しました。
カシュガルの家畜市場に行っても、トルファンのカレーズを見ても、「嗚呼、ずっとこうして昔から生きてきたんだ」と想像し感動します。シルクロードは、想像こそが面白さ、楽しさの源だと思います。
同著には他にも、「砂漠は黴菌も細菌もおらず、害虫駆除も必要ないから、こんな住み易い所はないと多くの民族が吹き溜まったに違いない」とか、「ウイグル族は9世紀ごろ入ってきたが、トルファンやホータンなどでは城壁を造らなかった。まだ、遊牧の気分が残っていたに違いない」等々、興味深いことが記されています。そして当時は、今と違って民族間の対立が殆どなくて平穏だったとお二人は語っています。今、お二人が生きていたらきっと悲しむに違いありません。平穏と平和を強く祈ります。

※風通信No40(2010年6月発行)より転載

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