新橋にて

つむじかぜ415号より


先日、新橋で、ある会合の開始時刻まで少し時間があったので、烏森神社に行ってみた。ビルに囲まれた随分と狭い敷地に、ぎゅっと詰まったたたずまいの小さな神社だ。鳥居をくぐって急階段を30段ほど登ると社殿があり、お参りをした。

平安時代の天慶三年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが烏森稲荷の起こりである。(同神社のHPからの抜粋)

稲荷神社は、全国に約3万社もあるそうだ。総神社数の40%位は稲荷神社だというから驚きだ。社屋などに、お稲荷さんを祭る習慣が今もあるが、それは、田沼意次が出世したのは、邸内に稲荷をまつったからだという話から来ているのだそうだ。

この烏森神社の社殿の脇に、通り抜けの近道として使われている小道がある。社殿には行かずに、多くの人たちがこの抜け道を使っている。現在の社殿は、昭和40年代に立て替えられ鉄筋コンクリート造りになった。だから、その歴史に比して、面持ちは少々味気ない感じもする。それでも、小さくともしっかりした場を確保し、『おれはここだ!』と叫んでいるように思う。

神社の周りには、小さな飲み屋がぎっしり並んでいる。中野の飲み屋街も、新橋には到底叶わない。何時の日か、この新橋の一角も、再開発の大波がやってきて、飲み屋街もビルの中に入ってしまうのかもしれない。

駅前のニュー新橋ビルの地下は、ビルの中だが、新橋という匂いが充満している。ただ、どの店も呼び込みの女の子が立っていて、「よってきましぇんか。やしゅいよ」などと声を掛けられる。「何処の国から来たの?」とつい聞きたくなるくらいだ。でも、この駅前のビルもきっと何時かは立て替えられて味気ないものになるに違いない。

長年、新橋の会社で働いたが、新宿の会社に変わることになった知人が、「会社が変わるのはいいが、飲み屋が変わるのが寂しい」と、嘗てぼやいていた。私の場合は中野だが同感だ。いつも、何件かの同じ店にしか行かないが、安心して今日も昨日と同じことができることが無性に嬉しく感じたりする。まだまだ中野を離れられない。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

シェアする