鉄道の普及

*風のメルマガ「つむじかぜ」589号より転載

日本くらい隅々まで鉄道が敷かれた国はないに違いない。東京は、車などなくても全く困らないし、全国津々浦々、鉄道で主要都市までは殆ど行ける。東京の地下鉄や私鉄たるや、もはや東京の住人ですら、どこをどう走っているか全容は把握できないほど、大変な数の路線が複雑に走っている。

しかし、その鉄道王国日本においても、最近は新しく敷設する路線は稀で、ほんのわずかの新幹線とリニアモーターカー、都市部の地下鉄ぐらいしかない。昨年、インドネシアの高速鉄道事業の入札で日本は中国に負けたが、その勝敗はさておき、現在、鉄道敷設で一番技術者を抱えているのは中国だろうと言われている。日本の技術が劣っているということではないが、どんな技術も日々必要とされていてこそ維持・発展が可能だということだ。

日本で最初に敷かれた鉄道は、周知のとおり新橋 – 横浜間で明治5年のことである。西洋文明など全く縁のなかった江戸時代から、一足飛びで西洋文明化した明治にあっても、この鉄道敷設はとびぬけて早いという印象がある。西洋列強に追いつかねばという当時の人々の焦りの結果だろうか。

しかし、その後、どのようなペースで全国に広がっていったのかを知る人は少ない。なぜなら、こういうことは、ほとんど学校では教えないからだ。

明治5年に大変な意気込みで始まったのだから、きっとあっという間に全国に広がったに違いないと思ったのだが、意外や意外、その後は、10年間で総距離は300キロ程度までしか伸びず、東京や大阪のほんの一部に過ぎなかった。

土地の収用の問題や、当時の運送業、宿場を担う人々から反対があったり、攘夷思想もまだ残っていたからである。それでも、西南戦争後、軍事的輸送手段としての重要性も認識され、次第に広まり、明治35年には、総距離2000キロにも及び青森から下関までが繋がっている。ただ、まだ、日本海側はほとんど敷設されていなかった。

昭和の初めには、ほぼ主要路線は、日本海側も含めて敷設され、鉄道で網走から鹿児島まで、太平洋側、日本海側ともに繋がることとなった。日本で、現在に近い形で国内旅行が普及し始めたのは、昭和初期だといわれているが、まさに、日本人の移動は、鉄道がその主役になったことは間違いがなかろう。

驚きである。日本人は、明治の後半には鉄道で日本を縦断できるようになり、昭和の初めには主要幹線が繋がり、鉄道での全国旅行を可能にしてしまったのである。

このようなことが分かってくると、明治、大正、昭和の人々の生活ぶりが想像できるようになってきて嬉しくなる。まるで白地図にあれこれ書き込んでいいくような感覚である。他にも、一杯こういうことがあるに違いない。バス、タクシー、旅館etc。個人にあっては、衣服、食事、台所、家、、、興味は尽きない。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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