北方領土

*風のメルマガ「つむじかぜ」607号より転載

プーチン大統領訪日で、一挙に北方領土返還への期待が高まっている。私自身、北方領土に関しては、あまり理解していないと改めて思い、あれこれ調べてみた。改めてその複雑さに解決の難しさを思う。

1957年の日露和親条約から始める。同条約第二条は『今より後日本國と魯西亞國との境「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「ヱトロプ」全島は日本に屬し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亞に屬す「カラフト」島に至りては日本國と魯西亞國との間に於て界を分たす是まて仕來の通たるへし』となっている。

条文はオランダ語でそれぞれ日本語、ロシア語に訳しているが、国境を「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に決めたことは問題ないのだが、この国境以北を元のオランダ語とロシア語訳では、「残りの、北のほうの、クリル諸島」と書かれているのに対して、日本語は、「夫れより北の方のクリル諸島」と翻訳されている。

即ち、日本の理解は、「ヱトロプ」島より以北をクリル諸島(千島列島)と理解している。逆にいえば、それより伊南は、クリル諸島ではないということだ。ところが、ロシアは、歯舞までの北方四島もクリル諸島であるという理解である。

1875年、千島樺太交換条約が交わされるが、やはり、クリル諸島に関しては、原文の条文(フランス語)の日本語訳は、「ウルップ」島以北をクリル諸島と解釈できるように翻訳している。しかし、この時点では、カムチャッカ半島までの千島列島全てが日本の領土となったので、「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間の“国境線”に関しては問題にならなかった。

現在、外務省のHPでは、『(日本は)サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。』となっている。

即ち、千島列島は放棄したが千島列島とは「ウルップ」島以北のこと。というのが日本の主張である。しかし、それは日本の勝手な解釈だという主張が、上記の和訳の齟齬にあるという指摘を受けている宇ことも事実だ。

外務省のHPは『(前略)当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました』ということも説明している。

いやはや複雑である。こんなことは、殆どの日本人は知らないに違いない。恐らくこのことだけで一生の研究テーマになるに違いない。私は、最近、自分の中であやふやだということを、一つ一つ丁寧に見直し調べて理解するようにしている。
少々遅きに失しているが、楽しく嬉しい作業である。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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