中野再開発

*風のメルマガ「つむじかぜ」695号より転載

中野サンプラザ(以下サンプラと称す)は、私にとっては憧れの東京そのものであった。

サンプラという言葉を耳にすると、沢田研二のコンサートが今でも浮かんでくる。調べてみたら 1973年の10月にジュリーのコンサートが開かれている。サンプラは同年の6月1日に開業しているから、オープンしてすぐのことだったようだ。当時、私は高校一年生。別に沢田研二のファンでもなかったし音楽に夢中になっていたわけでもないが、まだ田舎との生活に大きな差があり、とにかく東京へ出たいと思っていた私にとって、東京のにおいがするものはなんでも憧れだった。

コンサートホールの座席数は2,222席。決して小さくはない。アイドルたちはサンプラを埋められたらブレイクの証といわれ、現在でもアイドルの聖地となっているそうだ。そういえば、サンプラ前の広場や中野通り側にある通用門あたりに女子高生と思われる一団が押し寄せているのをよくみる。たまに、かなり年配の方々を見たりするが、そんなときは氷川きよしのコンサートだったりする。

そのサンプラが解体になるらしい。隣にある区役所も移転させ、現在のサンプラの敷地と合わせて今より広い面積を確保し、1万人収容のアリーナを含む複合施設にする案が浮上している。区役所はどうするかといえば、現在の中野体育館の場所に新たに建設され、中野体育館は沼袋駅そばの「中野平和の森公園」に移設されるという計画らしい。これに伴い中野駅に新しい改札をつくることも考えられているようだ。正式には2019年3月を目途に具体的な計画を中野区が公表するそうだが、いずれにしても早ければ2027年完成というから10年くらいかかる。

中野で風の旅行社を始めて28年目に入ったが、あまり大きな変化のない町だった。しかし、2013年に旧陸軍中野学校(戦後は警察大学校等だった場所)の跡地に中野セントラルパークができ、3大学とキリンビールの本社などが移転してきたのに続いて、急に地殻が揺れだしたような感じがする。

先日、築地市場が豊洲に移転し豊洲市場となった。なかなか計画通りにはいっていないようだが、何故名称を変えたのだろうか。地名が違うからか、築地の人たちが拒んだからか、私はその理由を知らないが、移転しても名前は「築地市場」のままでよかったように思う。サンプラはどうなるのだろうか。私の勝手な郷愁かもしれないが「中野サンプラザ2」くらいにして名称を残してほしいものである。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


シェアする