グルジア こぼれ話 3話

文・写真●二村 忍

8月9日にインドから帰国。まず目に入ったのが、北京オリンピックの開会式より、ロシアとグルジアの軍事衝突のニュースでした。一般の人にとっては、グルジアの南オセチア、アブハジア自治共和国と聞いてもピント来ないでしょうが、私は5月にグルジアを周遊し、ゴリを通り、アブハジアとほど近い、スワネティ地方も訪れていたので、その報道はかなりのショックでした。
さっそくグルジアの友人に連絡。「大丈夫です」という返事をもらって一安心。しかし「今後はどうなるかわからない」と話は続きました。3週間近く経った 8月27日に再度連絡を取った際には、「ある程度落ち着きました。トビリシからゴリを通って黒海沿岸にも行けるようになりました。でも街には難民がたくさんいます。本当に怖かった。家から10キロほどの所に爆弾が落ちたんですから。21世紀になって、こんな経験をするとは思いませんでした」という声が心に響きました。
NATOやEUの拡大に対して、旧ソ連邦の国々だけは、勢力下に治めたいロシア。ロシアの石油や天然ガスだけに頼らず、カスピ海の石油をアゼルバイジャン、グルジア、トルコ経由で確保したいEU。9・11以降の宗教が絡んだテロ問題とは、また別の次元の争いがここに起きてしまいました。

今回はこの春、私が旅した「ローマへの道52日間」の報告を兼ねて、グルジアの話題をご紹介いたします。

第1話 ウシュグリ村の塔

川を挟んでアブハジアの対岸にあるズグディディの街で、バスから4WDに乗り換え、悪路を走ること5時間、何度か天井に頭をぶつけ、腰がいい加減痛くなった頃に、スワネティ地方の中心地メスティアに着きます。そこで1泊した後、さらに雪崩地帯を通過すること3時間、やっとこさ世界遺産に指定されているウシュグリ村が見えてきました。確かにここに来るだけで、どんな世界遺産でも価値があるように思えてきます。
ウシュグリ村には、写真のような塔が37基もあります。12世紀の頃、侵略者から村を守るために、見張り台や籠城用の要塞として作られました。白い雪や氷河に覆われたコーカサス(カフカス)の山を越えればロシア、山脈はアブハジアへも連なっています。
この塔の由来から分かるように、この地は古代から侵略者たちの通り道でした。しかし今の時代の敵は、空からもやってきます。


一方、こちらは、昨年訪れた四川省のチベット圏丹巴にある塔です。作られた目的といい、形といい、何千キロも離れたとは思えないように酷似しています。人間の発想は同じなのか、それとも文化的に関係があるのでしょうか。
ここは、今年6月の四川大地震の震源地にほど近いところ。被害はどうだったのでしょうか。


第2話 ロシアによって空爆、侵略されたゴリ

ゴリは、実はスターリンの故郷。スターリンは、レーニンが1924年に亡くなって以降、大粛清を断行して、ソ連の権力を掌握。第二次世界大戦から冷戦までを指導し、1953年に亡くなるまで、その権勢を思いのままに操っていました。日本人にとっては、シベリヤ抑留を命令した、悪名高き人物としても知られています。
ここには、スターリンの一生の足跡を紹介した博物館と、復元された生家やポツダムに向かう際に使用した特別列車の車両が野外展示されています。
*北朝鮮の金正日同様、飛行機の移動は好まず、装甲車なみに防弾した特別車に乗っていました。
グルジアの友人は電話で、ゴリは空爆されても、この博物館は破壊されなかったと言っていました。そこに意図はあるのかないのか。プーチン首相は、独裁者スターリンを崇拝して、ロシアを旧ソ連のような強国にするのを目指すのか。かつては聖地化されていたゴリの侵略と、プーチン首相の動きは、何か意味があるような気がしてなりません。
つい3ヶ月前までは、スターリンの像の前で楽しそうに写真を撮る学生たちが見られました。過去の遺物が、再び蘇ってくるのか?恐ろしいような気がします。


第3話 ぶどうの故郷

最近のグルジアのニュースは、戦争一色ですので、ここでは別の話題を。
実はブドウの原産地は、グルジアだと言われています。古いブドウの化石?が、その証拠とになっているとか。自画自賛的な話ではなく、山梨のブドウの国文化館にもちゃんとその事が記載されていました。日本にはシルクロードを通り、中国経由で奈良時代に伝わっています。
ワインは、紀元前6000年頃メソポタミアのシュメール人が世界で初めて作ったと言われていますので、ぶどうとワインがグルジア発祥とはならないのですが、その辺は学者に任せるとして、とにもかくにも飲む話へ。
グルジアワインは、ぶどうの皮と中身を一緒に、半年ほど甕に入れて醸造させます。するとあら不思議、皮とワインが分離し、上澄みは写真のような澄み切った琥珀色の白ワインになるのです。これは工場での写真ですが、各家庭でも自家製ワインが作られ、地下にたっぷり貯蔵されています。ワイン=上品というイメージですが、グルジアでは、この自家製ワインを牛の角のグラスに入れて乾ぱーい、宴席ではその家の主人と腕を絡ませて、一気。ワインをビールのように、飲みます。この工場でも、輸出用の瓶入り以外にも、地元用として3リットルのボトルに入れた豪快なワインが売られていました。ワインはあまり好きではないのですが、気取らないグルジアワインは気に入りました。ワインの味?うーん、よく覚えていません。
旧ソ連の崩壊以降、主要輸出先のロシアに輸出できなくなり、ワイン産業が一時停滞していました。最近他国に輸出を始め、ロシアにも再び輸出できるようになって、ワイン産業も発展してきたと話していたのですが・・・。グルジアのワインは、日本に届くのでしょうか?


一刻も早くグルジアに、平和な日々が戻ってくることを祈りつつ。

2008年8月29日