第337話 クッパ ~唖者~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

チベットの老人と談笑する筆者 2019年

 17歳、東北大学受験のあたりから知識と身体のバランスが崩れて硬直化しはじめた。いわゆる頭でっかちである。そんな自分に嫌気がさし、22歳、薬学部卒業と同時に堅実な人生を投げ捨て、その6年後の1999年にチベット亡命政権のある北インド・ダラムサラへ向かうことになる。夜行バスのなかでチベット語の学びがはじまった。まずは数字を覚える。チク1、ニ2、スム3と大袈裟に大きな声で唱えると車内のチベット人たちが笑顔で見守ってくれた。こうして幼児のようにゼロから新しい言語を習得する体験は新鮮だった。そして10年後には医師としてチベット語でチベット人を診察するまでに成長する。ときに2009年、39歳。
なぜだろう、学びの分量と厳しさは同じでもチベット語では身体が硬くなる感覚がない。そんな素朴な疑問とともに、それまで自明のごとく操っていた日本語を振り返る切っ掛けとなったのは書籍『ことばがひらかれるとき』との出会いだった。それは早稲田大学文学学術院に在学中の2014年のこと。著者の竹内敏晴さん(1925~2009年)は病気が原因で耳が聞こえなかったが16歳から新薬のおかげで病が徐々に回復する。それから並々なる努力で言語能力を獲得した経験をもとに、ことばで伝えることの本質、さらに「ことばとからだ」の関係性を分析し、それは演劇教育という分野で結晶していく。

いっぺん私たちはオシ(唖者 チベット語でクッパ 注1)にもどろうと、とさえいいたくなる。絶対にことばを必要とする状況、そのときのからだになったとき、はじめて声を発してみよう。たぶん今は、ことばが多すぎるのだ、ことばの残骸が。

振り返ればチベット語を学びはじめたときは赤ちゃんと同じ状態で、そこから意識的にチベット語を上達させていった。だからこそチベット語を話すときは一つ一つことばを確かめながら、組み合わせながら語尾に気をつけている。一生懸命で、丁寧に、そして前のめりになる。身体全体を使って話そうとする。いっぽう日本語で会話をするときの重心は後ろ気味で、雑で、口だけで話しがちになる。なるほど、よどみない語りが最高の伝達手段とは限らないことに気がつかされる。むしろ言葉が喉に詰まって溢れそうで、前のめりになるような、ことばとからだが同時に動き出すようなときにこそ言葉は相手の心に届くのではないか。
20代のころは薬草の学名や効能を弁舌さわやかに語っていた。しかしチベット社会での生活を経て50歳を超えたいまは「言語で表現すること」へのいい意味での諦めが生まれ次第に歯切れが悪くなってきた。ためらいのない解説や講演はどこか表面的に聞こえてしまう。薬草について、花について、樹木について、チベットについて聴衆に語るとき、言葉では伝えきれない、ためらいがちな身体こそが「ことば」ではないか。そう明確に自覚するとともに、自分の語りに変化が生まれてきた。
2020年11月宮城県の高校に講師として呼ばれたときのこと。いちおう国際理解教育という題目を与えられてはいるが、担当教師からは「なんでも自由に話してください」といわれている。僕は小さな丸椅子だけを抱えて登場すると、すり鉢型講堂の正面の真ん中に据えて座った。机や演台など僕を遮るものはなにもなく、ただ我が身を生徒たちにさらけ出した。
 いまのみんなと同じ高校時代の思い出からはじめることだけは決めていた。恋愛や進路への葛藤。そしてチベット社会のこと。暗誦の話。薬草採取、寮生活の笑い話。何かを話すと何かが関連して浮かび上がってくる。彼ら彼女ら一人一人の顔を見つめながら言葉が思い浮かぶがまま話し続けた。

『ことばがひらかれるとき』(竹内敏晴著・ちくま文庫)

私が机を見たり触れたりするとき、少なくともその瞬間、私は自己に向かう意識が消えなければ、見ることも触れることもできない。

本書の中でいちばん好きな一節である。はじめてと出会う人たちを前にしても、あえて自己へ向かう意識を消し去ることができるか、僕が講演会において大切にしているポイントである。他者とまっすぐに向かい合い、自己に向かう意識が消えたときにこそ言葉が生まれてくるのではないか。
90分の講演を終えると生徒会長が立ちあがり挨拶をしてくれた。「今日は、大変お忙しいなか、遠路はるばるお越し下さり……」。しかしその「定型挨拶文」は僕の心にまったく届かなかった。だからこそ、彼女をさえぎるように(当時)50歳の僕の口は反射的に動いた。「忙しくなんかないよ!」。それは自分でも驚くほどの強い口調だった。僕の声に会場は凍りつき生徒会長は固まってしまった。数秒の沈黙。すると彼女は震えるような声を絞り出して、顔を真っ赤にし、行きつ戻りつしながら、定型ではない「自分の言葉」を語りはじめたのである。言葉が腹から出てきそうで喉につかえている。「がんばれ」と心の中で応援する。なにを話してくれたか覚えていない。ハラハラしながら彼女を見守り、そして彼女も僕の目をじっとみながら話してくれた。話し終わったとき、講堂は安堵にも似た拍手で満たされた。

小学6年生を対象に「薬」を講義する筆者
2024年 風越学園

注1:日本語でオシが差別用語であるように、クッパもチベット社会では差別的な用語として用いられているので、使用には注意が必要である。耳が聞こえない人はチベット語でオンバと呼ぶ。

参考・関連サイト:hanaike Books #7『ことばが劈(ひら)かれるとき』

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