秋の入り口の草原で

8月中旬、まだ日本中が猛暑でうだっている頃、風のチャーター便に乗って、モンゴル出張へ行ってきました。実はこれが初モンゴルとなる私が行った先は、ウランバートルから南東へおよそ140kmのバヤンウンジュール。村の遊牧民たちといっしょにキャラバン隊で移動し、自分たちのゲルを運びながら旅する「草原ゲル作りキャラバン」に同行させていただきました。

他のスタッフも伝えているとおり()、今年の草原には多くの花が咲き、目を楽しませてくれました。紫色で、菊に似た可憐な小花。大きくて黄色い、元気をくれるような花。少し馬で走るといつの間にか地面の色合いが変わり、乗馬中のささやかな楽しみとなりました。
そんな事をガイドのマグナイと話していたところ、私たちが訪れるよりも2週間ほど前(7月下旬)が今年の花の最盛期だったとのこと。その時期が夏のピークで、それを境にして、もう草原は「秋」向かっていたのでした。

少しずつ、草原の花は減り、草の鮮やかさも失われていく…今草原はその途上にあるんだな、と思うと、それまで夏真っ盛りとばかり感じていた草原に、ちょっぴり寂しさ感じるようになりました。とくに、一緒にキャラバンで行動していた遊牧民たちの背中や、笑顔の中に、切なさを感じることもありました。不思議でした。日本に帰ってからも、しばし考えてしまうほどでした。
冗談を言って豪快に笑い、大汗をかいてゲル作りを手伝ってくれた遊牧民たち。遊牧民にとっての夏って、あんなに短いのか、彼らにとって、夏ってものすごく眩しい季節なんじゃぁないかな…。今もまた、勝手な想像をめぐらしています。

冬がくれば、草原で昼寝したり、逞しい肌を露わにして働くことは、できなくなる。食べられるもの、行ける場所、会える人、いろんな事が限られてしまう季節。それを受け入れている遊牧民たちの、束の間の夏の姿を見ていたから、寂しく感じたのでしょうか。
夏は夏、そしてきっと、冬は冬—。季節が人を運ぶ場所、そんな言葉が浮かびました。

逞しい遊牧民スタッフたち(右から2人目はガイドのマグナイ)
逞しい遊牧民スタッフたち(右から2人目はガイドのマグナイ)

翻って、ここは東京。人が季節を先取りして商品が並び、街が飾り立てられています。時間を早めているのは自分自身。人の行動が自然に委ねられていたのは遠い昔の話で、今は、新しいモノやお付き合いや抱え込んだ仕事で、人は動かされ、季節を消費している、そう思えてしまう時があります。便利や刺激を大いに受けとって過ごしている私ですが、モンゴルの草原では、こことは違う時間軸に触れられた気がしています。

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