多民族国家ベトナム
近代に入って以降、フランス支配、日本軍の進駐、ベトナム戦争を乗り越えて南北統一という歴史を歩んできたベトナムですが実は多くの少数民族が暮らす他民族国家。中でも中国国境の北部地域は多くの少数民族がいます。今回は首都と中国国境の町を結ぶ狭軌鉄道やロープウェイなどを使って北部辺境の豊かな自然や少数民族の暮らしを訪ね、また千年の長きにわたり都であったハノイと景勝地・ハロン湾も観光するプランです。
寝台車の旅は少しワイルドですが、サパ、ハノイともにホテルは安心の4星以上です。
ハノイーラオカイ線
1906年フランス統治時代、中国昆明とベトナムを結ぶ国際線の一部として建設されました。山間部を走るため建設しやすい狭軌の線路が採用されていて、約300㎞を約8時間かけて駆け抜けます。深夜ハノイ駅を出発した列車は夜明けごろ国境の町ラオカイの駅に到着します。4人1部屋のコンパートメント。各車両にトイレと洗面所があります。
少数民族マーケット
周辺の村の招集民族が集ってくるため複数の民族衣装に出会うことができます。
(1)イティ 毎週土曜日開催。サパの北、中国国境にさらに近い山間部で開催される市場。ハニ族、ザイ族、赤ザオ族などの民族が集います。
(2)サンタン サパの西の山間部の町で毎週日曜日開催される市場。赤モン族や、ヌン族、ランタンヤオ族などが集います。
ファンシーパン山
ベトナム最高峰3,143mの山。2016年ロープウェイが完成するまで、2~3日のトレッキングが登頂の唯一の手段でしたが、完成後日帰りが可能になりました。雲や霧に閉ざされることも多い山頂ですが、展望が開けると眼下に連なる山並やその合間を縫うように棚田が広がります。
中国との国境ラオカイ
20世紀初頭、中国南部まで勢力を広げていたフランス統治下、中国昆明からハノイを結ぶ国際鉄道が開通しました。現在、この路線の国際列車は走っていませんが、その線路も残る国境では今も橋を挟んで人や物が行き交っています。
ハノイ旧市街周辺
11世紀の李朝から19世紀の阮朝まで約千年もの間、都がおかれたタンロン王宮遺跡や、ベトナム独立から統一までの英雄ホーチミンゆかりの家、ベトナム戦争でアメリカ人捕虜を収容し、ハノイ・ヒルトンと揶揄されたホアロー収容所、ベトナム王朝の伝説が残る市の中心にある湖とその祠堂などに加えて、オペラハウスや旧メトロポールホテルなどフランス統治時代の建築物も外観見学します。
ハロン湾
ハノイ市内の王宮遺跡がタンロン(昇龍)に対して、ハロン湾は「下龍」と書きます。昔、中国が攻めてきたとき龍が舞い下りてきて守ったという伝説があります。実際、13世紀モンゴル軍が攻めてきたとき、ハロン湾での地の利を生かして、モンゴルの大軍を駆逐した歴史があります。
2億5千万年前頃、長い年月をかけて海中に生物の死骸などが堆積し、厚さ1㎞にも及ぶ石灰の層ができました。それが地上に隆起し、それがさらに長い年月雨風に浸食され、塔状や剣状の奇岩(桂林のような風景)を生み出します。そしてそれが11~12万年前からは、沈下をはじめ海中に浮かぶ島々のような景観が出来上がったそうです。