―張 大石 先生より―
司馬遼太郎の「韓のくに紀行」を辿り、伽耶古墳群を訪ねます。
一人の若い将校が戦車の中から半島の風景をじっと眺めている。敗戦にともなって駐屯地の満州から半島を南下し、釜山港から日本に帰ろうとしていたのは福田定一、若き司馬遼太郎である。南下の際、何が起こるかわからない緊張した顔つきで、朝鮮半島の山河や街を戦車の小さい窓から見るだけの福田だった。戦後、その記憶がよみがえる形で「韓のくに紀行」の旅が始まったのは、日韓国交正常化から6年経った昭和46年の初夏だった(1971年5月15日~18日)。釜山から金海、大邱、扶余をめぐるこの旅で、彼は、「日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古いころの気分を…味わえれば幸せだ」という願望をとげていった。
ところで、何故に司馬さんは国名も何もないほど古い時代に思ひを寄せていたのだろうか。そして半島の風景は古代からどう変わり、今に至ったのか。また、海峡を挟んだ半島と列島はどんな未来図を描いていくのか。2026年は司馬遼太郎の死から30周年を、そして「韓のくに紀行」の旅から55周年を迎える。これを記念して、「韓のくに紀行」を片手に、司馬さんの足どりをたどる21世紀の旅に出かかてみるのは如何だろうか。
今回の企画では、55年前の「韓のくに紀行」の地をたどる一方で、2023年に世界遺産に登録された伽耶古墳群の一端を歩く。おおよそ洛東江流域に栄えた古代の加羅の国々に足を運びながら、古の「韓のくに」の風景に思いを馳せてゆく。
―張大石先生より―
※参考図書「司馬遼太郎 街道をゆく2・韓のくに紀行」

韓国国立伽耶文化遺産研究所(特別研究員)
張 大石 (チャン デソク)
1966年韓国光州生まれ。
東京芸大美術研究科博士課程(文化財保存学専攻)を修了した後、東北芸術工科大学准教授、角川武蔵野ミュージアムの図書部を経て、今現在は韓国国立伽耶文化遺産研究所(特別研究員)にて古代阿羅伽耶(安羅)の歴史文化研究と出土遺物の保存修理を手かけている。
30年間過ごした日本では地域文化遺産の持続可能な保存活用を掲げ、山形県下における「六十里越えプロジェクト」を立ち上げる他、武蔵野の旅学研究にも携わりつつ「武蔵野樹林」、「東京人」に寄稿を行っていた。
近著として、
「塩の道からみた古代伽耶文化圏におけるライフライン研究」(2023)
「九山禅門鳳林寺という記憶空間の再発見ー茶文化をキーワードに」(2024)



