第12回●「ルクル・ムクッポ」ヒマラヤの秘密基地

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ルクル・ムックポ

「オガワ、ルクルをどこへ採りに行くんだ?」
「あっ、ああ・・・。あの辺りかなあ」
同級生からの問いに、なんとも白々しい答えをしてしまったが、案の定、彼には気がつかれてしまったようだ。
「きっと、いい場所を知っているんだろうよ」
皮肉のこもった言葉の後には若干の気まずさが残ったものの、僕は気を取り直して一人、ルクル・ムクッポ(ゴマノハグサ科)の群生地を目指した。ルクルとは羊の角を意味しており、小さな花弁の中央部に角のように螺旋状の花弁が伸びている。ちなみにこの部分を象の鼻に喩えたランナという酷似した薬草も混生しているため、採取には注意を要する。

 

ルクル・ムクポ・ドゥクドゥ・シャドゥク・セル
 ルクル・ムクポは毒を集積し肉の毒を消し去る
 四部医典論説部20章

薬草実習中、薬草採集は7時から1時までの午前の部と、3時から5時までの午後の部に分けられ、午前中にはタンクン(第四話)ツェルゴン(第一話)といった大物を、午後にはルクル・ムックポやクルモン(キク科)など、周辺で採取できる小型の薬草を採取することが多い。朝は各自が準備を万全に整えるのに対し、午後はお茶を飲んだ後、ピクニックでも行くかのような軽装で出発する。

ルクルと類似の 薬草ランナ(同科)

その日の前日の午後、なかなか薬草を見つけられないまま歩き回っているとき、偶然、真っ赤なルクル・ムクッポが敷き詰められた群生地に出くわした。しかも株が20cm近くと大きく(通 常は10cm程度)、わずか30分ほどで採取袋はいっぱいになり、僕は午後の仕事のノルマを容易にこなすことができたのである。これなら、4,5日の間は午後の仕事に困らないな、と打算的な考えが浮かんだのは仕方のないことかもしれない、と自分を納得させている。大局的に見れば、この場所をみんなに教えたほうがいいのだろう。でも、自分だけの「宝の山」をこっそりと持っているのも、この厳しい薬草実習の中において許される御愛嬌ではないだろうか。それは何故かしら幼い頃の「秘密基地ごっこ」を連想させてくれる。
雪深い富山では冬になると松の木の下に自然のかまくらができ、松の木を道で繋げて「秘密基地」を作って遊んでいたものだ。パンの耳を揚げたお菓子を持ち込んでトランプに興じたり、ガラクタという大切な宝物を隠しておいたりして楽しんでいた。男の子ならば誰しもが生まれ持っている無邪気な遊び心、これこそが薬草実習を乗り切るための不可欠な要素かもしれない。そして事実、4年目ともなると多くの生徒が自分だけの「宝の山」を持っている。

「オガワ、その場所に連れてってくれ」
午前中にパルー(第十一話)採取という過酷な仕事を終えた最終日の午後、同級生のストレートな要求にもちろん“ディキドゥOK”と答えるしかなかった。 それに、どうせ一人では最後に採りきれない量が残っている。薬草実習も後半戦に入ると周辺の薬草は採り尽くされていくためノルマを果 たすのは次第に困難になってくる。僕は親友のジグメも誘って「宝の山」を目指すことにした。

採取したルクル (ベースキャンプにて)

「こんな場所がまだ残っていたのか。凄いじゃないか」
同級生の興奮に僕はすっかり鼻高々である。僕だけの「秘密基地」を教えてあげたような無邪気な満足感に浸っていると、他の同級生が3人通 りかかった。やはり薬草が見つからず空の袋を手にしたまま彷徨っているようだ。
「おーい、こっち来いよ。一面、ルクル・ムックポだぞ!」
一人で採るもよし、みんなでワイワイと採るのもまたよし。こうして宝の山の宝は見事に採り尽くされ、後日、薬として生まれ変わることになったとさ・・・。

草を楽しんで、草に楽しさを込めた時に、初めて薬に生まれ変わる。漢字とは何ともよくできた言語であるとつくづく感心させられる。本当の語源は「草を飲んで楽になる」だそうだが、まあ、どちらでもいいのではないだろうか。草を楽しむ、そこには国境も、何とか医学という分類も存在しない。なぜなら、そこから全ての医学は始まったのだから。

小川 康 プロフィール

コメントを残す

※メールアドレスが公開されることはありません。