第34回●「セワメト」薬草の主人公

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

セワメト バラ科

愛する恋人が不治の病に冒され余命いくばくもない。
「先生、お願いします。何か手立てはないですか?」泣いてすがる男性に医者は困ったように言いました。
「一つだけ手段があります。ダラムサラにセワメトという白い花が咲いています。この花弁を5キロ集め、チベットの呪文を唱えながら煎じてお茶を作り、それを飲めばもしかしたら治るかもしれない。いやぁ、ちょっと小耳に挟んだことがありましてね。信じるかどうかはあなたしだいです」
「あなた、無理しなくてもいいのよ。私はもう十分。あなたと出会えただけで幸せ」
「何を言うんだ、おとみさん。僕は行くよ。必ずセワメトを5キロ採ってくる。それまで生きていてくれ!」
(続く)

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あなたの一番大切な人が病気になったらどうしますか?有名な病院、お医者さんを探す。東洋医学の奇跡に期待する。神社で祈祷してもらう・・・。チベット医学が神秘の医学として世界に誇大広告されているせいだろうか、たまに癌患者などの難病に関する相談を受けるけれど、その度に僕はこう答えている。
「山へ一緒に薬草を採りにいって、あなたの心がこもった薬草茶を作ってみませんか。そのお手伝いをしましょう」と。
薬効とは集合意識から生じる思い込みによって作り出されるという仮説を立ててみる。そのとき現代科学や古代の英知の名の下に集合意識を高めるのも1つの手段であろう。しかし、一人一人が山を歩き、一人一人が薬草の主人公になったときに、その「個人の思い」のエネルギーは古代の神秘を遥かに凌駕するのではないかと思っている。そしてこれこそ僕がチベット医学を通して患者を癒すことができる唯一の手段であり奇跡なのである。

セワメトは、 いつも手が届きそうで 届かないところに生えている

実際に、4月の日本ではゴールデンウィークにあたるころ、僕たち生徒にはセワメト、つまり野バラの花弁を乾燥重量にして750gの採取が義務付けられ、 1週間、炎天下の下、汗を流しながらダラムサラ近郊を探し回ったものだった。生の重量に換算すれば約5キロ近くの花弁を採取しなくてはいけないが、せわしなく動かす手とは裏腹に、なかなか溜まっていくものではない。しかも全身に棘のある木と格闘しなくてはいけないため、手も服もボロボロになり、夜は引っ掻き傷を見せあいながら苦労話に花が咲く。こうして下記の聖なる記述は初めて具体的な力を備え現代に蘇る。

セワ・メト・ティーセル・ルンカ・ノン
野バラの花弁はティーパの病を癒し、ルンの頭を抑えてくれる。
四部医典論説部第20章

しかし、実はセワメト採集には究極の裏技「買う」という技があることをしばらくしてから知るようになる。周辺の貧しいインド人が生活費を稼ぐためにとセワメトを採取し、生徒に売りにくるのである。しかも、大学から1時間離れたところにある小さな村はセワメト採取が盛んで、そこに行くことはつまり、裏の技を使うことを同時に意味している。それでもそこにはまだ後ろめたさも残っていることから、多くの生徒は半分を自分で採取し半分を購入しているようだ。そんな 2005年のセワメト週間の際、友人が人気の無いのを計ったかのようにさりげなく話しかけてきた。
「オガワ、もしよかったら明日○○村へ行くが一緒に行くか。少しはズルすることも必要だぞ」
現地のヒンディー語(インド語)を話せない僕は一人だけでこっそり裏技を用いることができない。もっとも、薬草採集に関して硬派な考えを持っている自分としては、楽をしようなどというのは本末転倒に近い行為でもあった。とはいえ勉強がやや遅れをとっている・・・。結局、僕は誘惑に負けて一緒に出かけることにしたが、その後味の悪さは今もなお残っている。

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セワメト採取に出かける女生徒。この棒で引っ掛けて幹を手繰り寄せる。

(物語続き)
「うーん、残念ですね。せっかくダラムサラまでいってセワメトを採ってきてもらったのに、病は半分しか改善されませんでした」
「いや、実は…、関係ないとは思うのですが、薬草の半分はインド人から買ったんです」
彼の衝撃的告白に医者は「ああ…」と天を仰ぎ、おとみさんは泣き出してしまった。
「ひどい!嘘をついていたのね。半分だけだなんて。私への愛もどうせ半分なんでしょ」
(終わり)

追記
2007年より裏技は正式に禁止され、その代わり750gから500gに軽減されました。

小川 康 プロフィール

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