HAL9000の心

つむじかぜ151号より


「2001年宇宙の旅」は、1968年にアメリカで封切られ、日本にこの映画が上陸したのはなぜか10年後の1978年。私が、最初に見たのは学生の頃だから、今から30年程前になる。最初の約45分は全く台詞がなくて、正直、映画館でなかったらチャンネルを変えてしまいそうだ。しかし、後半は、評判に違わず引き込まれていく。

HAL9000は、木星探査に向かう「宇宙船ディスカバリー号」を、完璧にコントロールする人工知能コンピューター。“模倣された自尊心”をプログラムされ、100%間違いを起こさないはずだった。ところが、HALはディスカバリー号が故障していないのに“故障している”とボーマン船長に報告してしまう。乗組員はHALの故障を疑い、思考部の停止を話し合う。それを知ったHALは、人工冬眠中装置の“異常”で、乗組員を殺害してしまう。

たった一回の過ちから、HALの“模倣された自尊心”は崩れ、“動揺”が始まり、“感情”が揺れ動く。全ては、プログラムされた見せ掛けのはず。“動揺”すらも、アルゴリズムに支配されなければならないはずだった。しかしHALは、完全にコントロールを失って、暴走してしまう。その結果、HALは皮肉にも、本当の“心”をもったと私には思えた。

“過ちを犯す”のが人間で、動揺し、嘘をつき、自己を正当化しようという醜さが、人間にとって生きることのリアリティーを生んでいるように思う。人間のアイデンティティーとは、完璧な自分にあるんじゃなくて、ダメな自分の中にあるように思う。
もちろん、それを克服しようという“心”が人間にはちゃんと備わっている。ここらへんをどこかに置き忘れてしまうと、大変なことになる。でも、とりあえず、ロボットと人間の差は、まだまだかなりありそうだ。まずは、一安心。

私には、SF映画としての時代的な価値は分からないし、科学的な分析はできない。しかし、40年前に、この映画が作られたことには、やはり驚くばかりだ。
どうぞ見てない方は、一度はご覧あれ!

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

シェアする