信州遠山郷・霜月まつりへ Part5

つむじかぜ164号より


面(おもて)は、一つ一つ表情が違い、同じ神様を表す面でも神社ごとに全部違います。飯田市上村(かみむら)に「まつり伝承館天伯」があり、そこに神社ごとの面が飾られています。私たちも、翌日、ここに寄りましたが、なかなか見ごたえがあります。

夜の8時を過ぎて、面が登場するころになると本堂の中は見物人でごった返してきました。家事が終わった村の女衆や、遠方から駆けつけた親族、そして、“観光客”がひしめき合います。「今年は、凄い人だなあ。」土曜日で、しかも、この地区は、時間をずらして夕方から真夜中までがクライマックスになるため、見物人が増えたそうです。私たちは、「午前中から見てるんだから、俄か見物人とは訳が違う。」くらいに私は思いながら、人を掻き分けて必死に見ていました。

すると、長老の瀧浪さんが、私を手招きします。何事かと正面の神棚に近づくと、面を付けて踊れというのです。「今日は、祭りだで、言われたら断っちゃいかんに。」と朝言われた意味がやっと分かりました。そのまま、衣装を着けて踊りました。踊るといっても、釜の周りをぐるっと一周するだけです。面は後ろから付けられたのでどんな面か分からないまま踊りました。後で、参加者の方から「もう、なんともいえない個性的な面でした。とても似合っていましたよ。」と言われて、写真を見せていただきましたが、まるで、ひょっとこのような面でした。私は、能面をイメージして踊っていたのに、、、

さて、祭りは、両大神、一の宮、二の宮、遠山氏若党、子安様など、地元の神々が面を付けて登場し、四面(よおもて)で最高潮に達します。四面は、山の神など4つの面が次々と登場し、「ヨーセ、ヨーセ」の掛け声とともに、観客の中を跳び回り四方の角に背面からジャンプします。これが、何回も繰り返されます。そのたびに、「キャーッ、ウワァーッ」と悲鳴が上がります。もちろん、こんな事ができるのは若者だけです。この祭りは、若者がいないと成り立ちません。過疎の進んだ地区ですが、祭りになると若者が帰ってくるんだそうです。昔は、喧嘩祭りと呼ばれたそうですが、その雰囲気を十分過ぎるくらい味わいました。

そして、最も有名な、水王(みずのう)(小天伯)が現れ、煮えたぎった釜の湯に素手を突っ込み、湯切りをします。その日の水王は、白沢さんでした。最後に、天伯(天狗)が赤い衣装をまとって現れ、ゆっくりと舞います。静と動が、絶妙に融合した祭りは、終わりを迎えます。時刻は、夜中に12時に近づこうとしていました。

詳しくは→信州遠山郷「木沢の霜月まつり

12時間以上に亘る、長い祭り見物に参加いただいた8名のお客様に、心より御礼申しあげます。クライマックスだけ見る、あちらの神社も、こちらの神社もとはしごして見る。そんな方法もあろうかと思いますが、敢えてそれはしませんでした。一つに繋がった長い時間の流れを、村の方々と共有することで、心の中に、しっかり霜月祭りが刻まれたら幸いと思います。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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