立川志の輔の落語を聴きに行きました

つむじかぜ257号より


落語を聴くのは大抵は国内線の飛行機の中で、全日空寄席かJAL名人会。フライト時間が一時間あまりの羽田大阪便なら丁度いいので、私のほぼ定番になっています。

しばらく前になりますが、桂三枝の「読書の時間」という新作落語だったと記憶していますが、機内で聴いていてヘッドホンをつけながら、げらげら笑うことも出来ず苦労したことがあります。その何ヶ月後かに、偶然、桂三枝の落語を聴きに行く機会があり、しかも同じ演目をやっていて驚いたことがありました。

通常、新作落語は、噺よりはストーリーを楽しむという面が強く、一度聴いた演目が出てくると、「前聴いたよ」とがっかりするものですが、このときばかりは、「おおこれだ」と、とても嬉しくなり今度は思い切り笑いました。

先日、立川志の輔の落語を聴きに行きました。演目は「子ほめ」と「抜け雀」。新作と古典の組み合わせで、「抜け雀」は、一時間近い話だったのに時間を忘れて楽しめました。生の落語を聴くと「落語とはすごい芸だなあ」としみじみ感じます。

しかし、こうした独演会は果たして芸人を育てる場になるのか、と少々疑問も感じます。前座が出てきても一人か二人。しかも、それなりに上手な弟子が出てくるから、聴きに行く身になれば効率的で結構なことです。しかし、昔から「芸人は客が育てる」とよく言われます。若い芸人が寄席で、野次にめげながらも芸を磨いていく。なじみの客ほど厳しい。そんな話を聞いたことがあります。独演会は、客はいいとこだけにお金を払い、全てが効率的で無駄が無い。楽しんでいるのに文句言うなと言われそうですが、これでいいのだろうかと、つい感じてしまいます。

10/29、落語の行く末を心配して落語会に一石を投じたうるさ型の円楽師匠が亡くなり淋しくなりました。そうかと思えば、上方落語の米朝師匠が文化勲章を受け「芸能界始まって以来の珍事」だと言って、老いたりとも落語家らしい一面を見せてくれました。

明日から知床に行きます。また、機内で落語が聴けます。皆さんもたまには如何でしょうか。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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