ゆとり教育を考える

つむじかぜ403号より

「ゆとり教育」のことが、とかく批判されるが、その内容に関して詳しく知っている人は少ない。ちょっと調べてみた。一般的には、小中学校では2002年度から本格施行されたと言われている。2002年時点で中学を卒業していた現在24歳になる人以下は、「ゆとり教育」を受けてきたことになる。

具体的には、学習内容及び授業時数の削減、 完全学校週5日制の実施、「総合的な学習の時間」の新設、「絶対評価」の導入などであるが、円周率が3.14ではなく3になったとか、台形は教えないとか、とにかく勉強が簡単になり、土曜日に学校に行かなくなったという印象がある。

しかし、「ゆとり教育」そのものは、小学校では1980年度から、中学校では、1981年度から、高校では1982年度から始まっている。ということは、1980年に高校を卒業していた人より下の世代になる。即ち、32年前に18歳だった人、現在、50歳より下の人たちは、ゆとり教育を受けてきたのである。

受験戦争と言われた時代の詰め込み教育への反省から、ゆとりある教育が日教組でも中教審でも叫ばれ1980年から授業時数は削減され続けてきた。そして、2002年度から施行された「ゆとり教育」は、「新学力観」と言われた以下のような概念に基づいている。

「旧来の学力観が知識や技能を中心にしていた」として、それに代えて学習過程や変化への対応力の育成などを重視しようと考える学力観である。新学力観では児童・生徒の思考力や問題解決能力などを重視し、生徒の個性を重視する。(ウィキペディアより抜粋)

この内容に、違和感を持つだろうか。私なんかは、その通りだ。とむしろ賛同してしまう。しかし、その結果、学力が大きく低下したと言われ、2008年度に「脱ゆとり教育」と言われた指導要領が発表され2011年度(高校は2014年度)で、ゆとり教育は終了することになった。

私が育った長野県は、文部省が生活科を導入する以前から総合学習という授業が盛んで、学校で動物を飼ったり、竪穴式住居を作ったりする実践が賞賛されていた。そのことだけが原因ではないだろうが、長野県の高校生の学力は、全国で最下位近くに低迷することになった。

ここで、本格的にこの問題を論ずるスペースも知識も私にはないが、私が長野県で小学校の教員をしていた1988年当時の研究集会で、高校の先生が話していた言葉が印象的に残っている。「殆どの生徒が、基礎学力が全く身についておらず授業にならない。将来のことを考えても選択肢が狭く、軌道を外れていってしまう。」そんな内容だった。

勉強が全てじゃない。しかし、どんなことも、基礎ができて初めて様々な応用が生まれる。「ゆとり教育」は、その基礎を余りにも無視しすぎたように私は思う。これを変えていくには、相当長い年月がかかりそうだ。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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