日本の介護問題

つむじかぜ465号より


学生の頃の友人が、この3月に東京を引き上げて田舎に帰るという。私より3歳年下だから今年で55歳。理由は、母親の介護のためだそうだ。55歳の中年の男性が、母親の介護とは。想像しただけでも大変そうである。

しかし、本人は、結構あっけらかんとしている。ずっと独身で通してきたから、東京に家族がいるわけではない。「東京は、もういいよ。疲れるよ。田舎でのんびりやるさ。」とさらっと言ってのける。そんなに深刻な雰囲気はない。お母さんも、まだ体は動くし、デイケアを利用できるから、それほどのことはないのだそうだ。介護を理由にしているが、どうも、本人がこの東京に疲れてしまったらしい。

何も東京で一旗挙げてやろうなどという血気盛んな思いがあったわけではなかっただろうが、この東京で、自分の思いを形にしようともがき、それなりに、東京で、多くの刺激を甘受しながら暮らしてきたはずだ。しかし、もう気持ちは前向きにはならない。年齢を重ねるとはそういうものかもしれないが、気持ちの変わり様に唖然とする。

最近、学生時代の友人と話すと、どうも皆、ある種の不安を抱えた状態にある。元気がない。定年制が伸びたとは言え、60歳を超えれば、今まで歩んできた道とは、様子が変わると想像がつく。そろそろ、働くという今まで当然のことと思っていた生活が、ゴールを向かえるのだが、そのことを、どう受け入れていいのか分からなくなっているようだ。

2000年に介護保険制度が始まって、確かにデイケアなどが充実した。“お年寄りの面倒は、できるだけ家族の手で”と、それが家族愛の形だと言わんばかりだ。私の実家でもそうだが、老人ホームに年寄りを入れたら、「あそこの息子は、嫁は、、、」と大バッシングが始まる。

一方、安価な特別養護老人ホームは、入居待ちで何時入れるかも全く分らない。仕方なく、民間の老人ホームに入ろうとしても、何百万もする入居金を払い、月々最低でも20万円の経費が必要になるから入れない人が多く、結局、自宅で介護ということになる。だから年間10万人を超す介護離職者が出ている。

「家族愛=家族介護」こういう理想と思える概念を掲げ、実は、効率的で公費負担の少ない制度をつくることが目的だったりする。こういう手法を、国家は、恥も外聞もなく取るものだ。

私の友人は、離職することにも未練はないし、本人の事情によるのかもしれないが、かなり深刻な問題である。年をとってからの苦境は一種の恐怖である。他人事ではない。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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