津田梅子

つむじかぜ491号より


津田梅子は、留学先のアメリカから11年ぶりに戻ったとき、日本語をすっかり忘れてしまい、日本人の顔をしたアメリカ人になっていた。日本への帰国をあれほど楽しみにしていたのに、帰国してからは、次第に落胆することが多くなり、時には憤りすら感じていた。そんな様子が、大庭みな子著「津田梅子」(朝日文庫)に描かれている。

描かれているというより、津田梅子が生き生きとそこに存在するかのように感じる。何故なら、殆どが、和訳された津田梅子の書簡でこの本は構成されているからだ。1984年、津田梅子とアメリカ留学中のホストファミリーであったアデリン・ランマン婦人との書簡が大量に発見された。その書簡を紹介しているのが本著である。以下、少し抜粋してみる。

「もうあと一日です。到着は目の前です。私の肉親—家族はいったいどんな人たちなのかしら。(後略)」こんな書き出しで始まる。

「捨松は教会にもすっかり行かなくなり使命感を忘れてしまったとお伝えしたら悲しまれるでしょうね。(中略)私は、彼女のような妻の従順さに我慢がなりません。彼女は極端に日本風になってしまいました。」

捨松とは、一緒に留学した山川捨松(このとき大山巌婦人)のことだ。使命感とは、国費留学生として帰国後、日本の国家に尽くすという使命感のこと。しかし、その使命を果たそうにも、女子留学生は、帰国後、仕事の斡旋もなく捨て置かれた。それが、梅子には、理解しがたいことであった。

「(下田歌子は)礼儀正しい洗練されたすっかり完成した感じの方です。粗野で押しつけがましいアメリカ人とは好対照です。こういうコントラストを、この国に来て日増しに感じるようになりました。」下田歌子は、歌人であり実践女子大の創設に力を尽くした女子教育家。その下田が梅子を訪ねたときのこれが感想である。

「私にとっては我慢ならないことでも、(この国では)長い間、男性は結婚して妻を持っていて、そのほかに二号さんを囲うのは当たり前だと思われてきました。そういういろいろなことが急に変わるはずもありません。」虐げられた日本の女性の姿に、落胆している様子が、こんな表現でしばしば出てくる。

「伊藤氏のキリスト教よりの政策には風当たりが強く、そのため政敵も多くできましたが、伊藤氏は彼らが言うほどキリスト教に傾いているわけではないのですから自分の家にクリスチャンの少女を置かないほうがよいと思います」伊藤氏とは、伊藤博文のこと。その伊藤家に住み込みで家庭教師に梅子は入っている。観察眼もひときわ鋭いことが、こんな表現からも読み取れる。

昔の人は、実によく手紙を書いた。下手なビデオなんかより人物像がリアルに伝わってくるから不思議だ。解説書をよむより遥かに面白い。お薦めの一冊である。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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