乙川優三郎『生きる』

*風のメルマガ「つむじかぜ」582号より転載

乙川優三郎の直木賞受賞作『生きる』を読んだ。百ページ足らずの短編だが、ずしりと心の芯まで響く物語だ。時代設定は江戸時代の初期。50代に入った主人公・又右衛門の父は関が原を戦っている。

又右衛門は、長らく患ってきた主君の病状が益々芳しくないと聞き、いざというときには追腹を、と考え始めていた矢先、小野寺というこれまた50代の忠臣と二人、家老に呼び出され内々に追腹を禁じられた上に、誓紙まで差し出すことになってしまう。

そもそも、追腹という風習は、本来、戦場で主君の死を追っての殉死という慣わしだったはずが、平時になって主君の病死にも広がった陋習である。実際、江戸初期に盛行し、第4代将軍家綱は、文治政治への転換を進め殉死禁止令を出している。

この小説の中では、家老がこの陋習を止めたいと考え、主君病死の後、追腹の禁止令を出し有能な家臣たちを残そうと考えた。もちろん、それが家臣の忠義の心に反することは承知の上である。家老は、又右衛門と小野寺を、禁令に従わない家臣たちを堰き止める杭にしようと考えた。

ところが、禁を破った者は逆賊とし遺族をも厳罰に処す、としたにも関わらず、この二人を尻目に、追腹が続き、止めることはできなかった。その上、又右衛門の娘婿も「武士として喜び多き良き生涯だった」と言い残して腹を切ってしまった。

又右衛門は、娘から夫の追腹を止めるように頼まれていたが果たせず、結局、娘から義絶されてしまう。更には、そろそろ元服をと考えていた一人息子にも、主君の一回忌に、醜態をさらし続ける又右衛門への義憤から切腹をされ、絶望の淵に立たされる。それを苦にしたのか、追腹を止めたことを喜んでいた唯一の縁(よすが)だった妻も、呼応するように長患いから回復することなく先立ってしう。

又右衛門は、君主の病死以来、家中のあらゆる白眼に耐えてきた。しかし、家族の度重なる災厄に心折れ、武士としての信念も失い、ついには体に変調をきたし城に出仕しなくなる。どうせ恥辱にまみれて死ぬなら最期に家老への恨みを手紙にしたためようと考えた。

又右衛門は、つらつら恨み言を並べてみた。しかし、どれも己で対処できたはずだと思い直す。白眼は誓紙を出したときに覚悟したはずだ。娘婿と一人息子の追腹も自分が適切に対処すれば止められたはずだ。翌日から又右衛門は、克己し、背筋を伸ばして出仕し始める。

クライマックスはじわっと啼ける。自分の信念をそこそこに通し、人から尊敬されずとも疎まれずに生きることは、平時ならそれほど難しくない。ただ、平穏なまま人生は終わらない。人は、逆境にあってこそ真価が問われ、そこから這い上がる強固な意志が必要である。「自分に厳しく!」が又右衛門が立ち直っていく鍵になった。〇〇知事にこの物語を読ませたいものである。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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