『日本の200年』

*風のメルマガ「つむじかぜ」599号より転載


最近の歴史の教科書からは、私が学校で習った江戸時代の身分制度であった「士農工商」という記述がなくなっているそうだ。それに伴って、明治になってからの「四民平等」も記されなくなっているという。

なぜなら、実は武士は階級として上位に位置したが、農工商に身分的な上下関係はなかったということが、最近の研究でわかってきたからだそうだ。農が、士の次に位置づけられているのは、年貢を納める農を大切にしたからだと教わったように記憶しているが、その説明も嘘だったということになる。一体全体どうなっているのかとあきれるが、他にも多々こういうことがあるに違いない。

『日本の200年』(アンドルー・ゴードン著、森谷文昭訳、みすず書房)を今読んでいる。この本は、1800年前後から20世紀の最後までの200年を扱っており、1997年から2001年にかけて書かれ、2006年に日本語に翻訳された。日本のことを知りたい英語圏の学生などが読む本として知られている。

その中で、徳川幕府が、アヘン戦争が起きる前、1825年に通商を求めて日本の沿岸に接近する外国船を武力で打ち払うよう命じたが、アヘン戦争で清国が敗けると、1842年には、漂着した外国船に飲料水を与えて事を荒立てないよう命令を変更したという説明がある。

そんなことを習ったか否か記憶にはないが、1853年黒船が来たことで、日本は仰天して突如変わったような印象が強いが、そんなことはなく、黒船以前からロシア、英国、オランダなどが1800年代には日本近海に現れるようになっていて当初は鎖国断固死守の姿勢で臨んでいたわけである。

結局、アヘン戦争で結ばれた南京条約とほぼ同じ内容の日米通商友好条約が結ばれ、他の列強諸国とも同様の条約を結ぶことになるが、関税自主権の放棄と治外法権を認めさせられたこの不平等条約に日本は長年苦しむことになる。

但し、アヘンの輸入だけは頑強に拒み、日本はアヘン荒廃する清国のような事態を免れた。もし、この時アヘンが入っていたら今の日本は随分変わった姿になっていたかもしれない。いやはや、アヘンを拒んだ幕閣に感謝しなくてはいけない。

こんなことを考えていると、つい、私は夢中になってあれこれ調べてしまう。
冒頭で書いたように、歴史とは何が正しいのか。それさえも判然としない大変あやふやなものかもしれない。しかし、それとて歴史の面白さである。陳舜臣の『アヘン戦争』も読み始めた。当分、あれこれ楽しめそうである。


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