オルドス旅行①

*風のメルマガ「つむじかぜ」674号より転載

GWに内モンゴル自治区のオルドスを訪れた。大学時代の友人から「知り合いのモンゴル人J・Jがオルドスのユーシンチにゲストハウスを建てたので、一緒に行ってアドバイスしてほしい」と頼まれたのだ。定住化と砂漠化が進んだ内モンゴルがどんな状況なのか一度見てみたいとも思い、同行することにした。

ネットでオルドスを調べると鬼城(ゴーストタウン)のことがすぐに出てくる。砂漠の真ん中に建築の途中で放棄された高層ビルが立ち並ぶ荒涼たる風景だ。内モンゴル自治区の観光といえばフフホトが有名だがオルドスは聞かない。日本から行くことを考えると飛行機の便は悪い。北京か上海で乗り継いで入るが、帰路は同日乗り継ぎができず一泊になる。成田から直行便があるウランバートルに比べるとかなり不便である。

フライトの関係で夜の11時ごろオルドスの空港に到着。空港からJ・Jの運転で2時間半、建てたばかりの「モウソ砂漠緑化支援センター ノミン・ブルド」に到着した。ゲストハウスというのは友人の勘違いで、宿泊もできる緑化のための施設ということだった。まじめなNPOといった活動だ。J・Jと話をするとそのことがよく解る。緑化活動で草原を復活させモンゴルの伝統文化を守りたいと純粋な熱意が伝わってくる。

もう夜中の2時を回っていたからそのまま就寝かと思いきや、J・Jの家族数人が馬頭琴の演奏で出迎えてくれ、ウォッカならぬ白酒が杯に注がれて回された。後で紹介されて知ったが、J・Jの二番目のお兄さんはプロの馬頭琴演奏者で娘さんも馬頭琴の勉強中だそうだ。

部屋に荷物をおくとレストランに通され食事。スーテーツァイ(塩味のミルクティー)にウルムなどの乳製品が並び、ゴリルタイ・シュル(スープうどん)やキュウリ、トマトなどの生野菜が出された。私は、内モンゴルはすっかり中国化しモンゴルの食習慣はすっかり消えてしまったと勘違いしていたが、とんだ間違いだった。日々こういう食事をしているというから驚いた。モンゴルと違うのは、スーテーツァイにアーム(粟を煎ったもの)や粟の粉を入れて飲むことだ。

翌日は、J・Jの友人が来て羊を一頭解体してくれた。J・Jはまだ3回しか解体したことがなく自信がないので、今回は牧民の友人を呼んだそうだ。その手さばきは見事なもので、モンゴルでも何度も見てきたが何ら変わらない。豪快なチャンスンマハ(ゆで肉)の塊がテーブルに並んだ。血の腸詰や胃袋に内臓のミンチや葱などを入れて蒸しあげた料理も出され、10人ほどのJ・Jの家族や親戚、友人たちが集まり歓迎の酒盛りが始まった。

白酒を注いだ杯二つを皿に載せ、歓迎の言葉を述べながら相手に差し出す。供されたらそれを一気に飲み干す。この繰り返しである。西寧やウルムチでこれをして二日酔いで酷い目にあったので慎重にと思いつつも、断ることもできず夜中の2時まで飲み続けた。翌日、どうなったかはお分かりと思う。(つづく)


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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