年金

*風のメルマガ「つむじかぜ」677号より転載

私も、8月には62歳になるので年金がもらえるようになる。2週間ほど前に、年金請求書が送られて来たので、内容を確認しなくてはと思っていたら、郵便局から年金相談会の案内が来た。きっと受取口座を郵便局にしてほしいというのが狙いだろう、とは思ったが、とにかく行ってみることにした。

年配の女性の方が相談を受けてくれた。社会保険労務士の方だろうか? 中野区役所で区の融資を受ける際に面接をしてくださる税理士さんもご高齢の方が多いが、やはりゆっくりとしたテンポで相談が始まった。

62歳から比例報酬部分がもらえるが、基礎年金は65歳になってからだといった基本的な説明だった。私の年金加入年月からすると加給年金がもらえるというので、「妻も働いていました。別途年金が貰える場合は該当しないのでは?」と申し上げると、「え? そうなんですか」と怪訝な顔をされてしまった。共働きが珍しいのだろうか?

「手続きは誕生日の前日からできますから、書類を揃えて前日に手続きに行ってください」とかなり強調されたので、「あの、その時期は忙しくていけそうにありません。8月中に行けばいいですか」とお聴きしたら、あっさりと「構いませんよ。忘れずに手続きしてくださいね」と念押しされた。いったい、誕生日前日にという話は、何だったのか? まあ、どうでもいいのだが。

実は、私はまだ常勤雇用であり、現在も年金に加入しているから「年金+給与収入が28万円以内」という受給制限を超え減額されそうだ。非常勤雇用になって年金加入者でなくなればこの収入制限はないそうだが、自力で稼ぎ収入のある人に年金は不要だということだろうか。しかも、62歳の誕生日以前に死んでしまえば年金も消えてしまうのだ。貯金なら相続させることも可能だが、年金はそうはいかない。

しかし、人口ピラミッドを見れば年金が息詰まるのも無理はない。超高齢化した日本社会では、若者で高齢者を支え切れない。だから、高齢者も自分で稼いで頑張って自活しろというわけだ。そもそも年金とは相互扶助である。“掛けた分が返ってくる”ないし“利息がついて増える”などと考えてはいけない。理屈では解っているが、すんなり納得できない。

日本は昔から相互扶助社会であり、それが日本を支えてきたと考え、自分を納得させることにした。貧富の差を個人の努力だけに結び付け、自己責任だといって格差を正当化するアメリカ型の社会に未来はない。少々無理やりなこじつけだが、しょうがないと思う。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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