伯方の塩

*風のメルマガ「つむじかぜ」686号より転載

もう15年ほど前になるだろうか。現在の「ツーリズムEXPOジャパン」が、「JATA世界旅行博」といってアウトバウンドを専門にプロモーションするイベントのころだったと思う。ビッグサイトの展示場に各国の観光局や海外の旅行会社がブースを出して様々な観光地を紹介するのだが、弊社も毎年「旅のストリート」という専門の旅行会社を集めたコーナーの一角に小さなブースを出していた。

たまたま私が一人でブースの店番をしていたとき、50代の男性がワイシャツ姿に大きめのリュックを背負ってやってきた。「お宅は、どんな旅行をやってるの?」というのであれこれ説明すると、「いやあ、中々面白いねえ。私はこういう者です」と名刺を出された。その名刺には「伯方の塩」の代表取締役社長とあった。

私が少々面食らっていると、背中のリュックを下ろして、その中から、あの瓶入りの伯方の塩と子袋詰めにされた塩を幾つか取り出して「これ使ってください」と渡された。「こうやって営業をしとるんですわ」と最後に一言残して別のブースに向かっていかれた。西の方の言葉だったと思うが、交わした会話は短いものの印象的で今もよく覚えている。

私は小学生のころ、お袋によくお使いに出された。とはいっても、2軒隣の食料品を扱う雑貨屋さんに買い物に行くだけだが、塩もなんどか買いに行かされた。薄茶色の袋に大きな字で「食塩」と書いた2kgの塩が、当時100円程度で売っていて、子供心に「塩って安いんだ」と思ったことを覚えている。

先日、ひょんなことから塩の歴史を調べる機会があった。塩は専売公社によって、たばこ、樟脳と並んで戦後、政府事業として扱われてきたが、古くは1905年に専売公社の前身、大蔵省専売局で専売となっている。一番驚いたのは、1971年に「塩業近代化臨時措置法」を成立させ、国がそれまでの塩田での製法を禁止し、日本の塩作りを塩化ナトリウム99%のイオン交換膜製塩に切り替えてしまったことだ。

このとき松山市の有志が自然塩存続運動を起こし、3年がかりで塩田での塩作りを認めさせた。その流れの中でできたのが伯方塩業株式会社である。1997年、塩専売法は廃止され、塩は自由に作れるようになりその美味しさを競うようになった。

伯方の塩の社長さんとは、それ以来お会いすることはなかった。まさか今もリュックを背負って営業されてはいないだろうが、我が家に並ぶ幾つかの塩の一つとして今も愛用させていただいている。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


シェアする