18分間の奇跡

久々に、4人の社員が年末年始のツアー添乗に出た。中国からの帰国便が遅れて予定通り乗り継げず肝を冷やしたが、何とか事なきを得、他のツアーも大きなトラブルもなく良いスタートが切れた。これも皆様のご支援の賜物と感謝の気持ちで一杯だ。

しかし、世間は、元旦早々暗雲が立ち込めた。正月を過ごすために能登に帰省した妻子を、義理の両親含め親戚諸共亡くしてしまった50代の男性の話が1/7の朝刊に載っていたが、神も仏もないとはこのことだ。

私はマンションの10階に暮らしているので結構長い時間揺れたが、テレビをつけてびっくり。「震度7! また3.11みたいになるのか? 津波は?」最初は、日本海側全般に津波が襲ってくるという報道だったものだから、柏崎の親戚の安否を気遣った。幸い、すぐに連絡がとれ無事が確認できた。富山の知人にもメールした。かなり揺れたが無事とのことだった。すぐに、年末年始のツアーにご参加いただいている方々の住所を確認したが、該当県の方はいらっしゃらなかった。

輪島は、高校1年生の夏休みに友人と3人で旅行をした懐かしい場所だ。港近くの広場で、夜、金色のスポットライトに照らし出されて、勇壮に打ち鳴らされる御尋常太鼓を今でも鮮明に覚えている。翌朝の朝市も印象的だった。珠洲市には行ったことはないが、テレビの画面には珠洲市や輪島市の固定カメラの映像が映し出され、津波は来るのかと心配して見入っていた。

翌2日、地震で発生した火事と家屋が倒壊したのか判然としなかったが、町が消失してしまった輪島市の様子を見て唖然とした。人類は、何回、同じことを繰り返さなくてはならないのか。目の前のテレビ画面に映し出されている倒壊した家の下には、まだ人がいるのではないかと思うと、どうにもやりきれない気持ちになった。

夕方、外出から戻りテレビをつけたら、今度は、燃える大型ジェット機の姿が目に飛び込んできた。「あの火の中に何人乗客が残っているんだ。冗談じゃない。止めてくれ!」とテレビに向かって思わず叫んでしまった。しばらくして、400人近い乗客乗員が全員無事避難したと報じられたが、安堵感で全身の力が抜けてしまった。その後、海上保安庁の小型機の方は5人が亡くなられたと知り再び暗澹たる気分になった。前日の大地震の被災地に支援物資を運ぶ任務中の事故だという。謹んでご冥福をお祈りします。

世界からは「18分間の奇跡」と称賛の声が上がっている。私も御巣鷹山の事故を契機にできた羽田にある「安全啓発センター」を見学したが、JALの方々は御巣鷹山の悔恨を忘れることなく、40年余りの間、安全運航への思いを次の世代に受け継いできたのだろう。実際、魂を受け継ぐことは実に難しい。今回、機内の通信手段が途絶えた中でCAたちが自らの判断で冷静に避難行動を完遂させたのはその賜物だろう。見事しか言いようがない。

被災された方々には心よりお見舞い申しあげます。悲しいスタートとなりましたが、本年も精一杯努めますので何とぞよろしくお願いいたします。

追伸:私の40年来愛用した自転車が盗まれたことを、以前、本稿に書きましたが、その後どうなりましたか、とご心配くださる声をいただきました。残念ながら、あのまま出てきません。新しい自転車も買っておりません。この頃は、電動アシストが欲しいと思う次第です。御心配、ありがとうございました。

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