第251回 クニェ ~マッサージ~

クニェクニェ

風のツアーでアムド地方(チベット東北部)の遊牧民の家にお邪魔させていただいたとき「クニェ」の話題で盛り上がった。チベット語でクは身体、ニェは柔軟。つまりマッサージである。ツアー参加者はそもそも伝統医学の名のもとに集まっているだけに、みんなの目が一斉に「キラリ」と輝いた。ときは2015年の夏のこと。

そこで無理をいって一人一人、別室で施術してもらうことになった。施術者は遊牧民の家のお姉さんだ。まずバターを温めてツァンパ(麦こがし粉 第57話)とよく混ぜる。もちろんこのまま食べても美味しそうだ。少しドロドロの状態のまま掌(てのひら)の根元の柔らかい部分を使って、背中をお尻から首元に向けて擦る。クニェを施すのは子どもの役割だというが、子どもの手は大人よりも体温が高いからバターが固まらずにちょうどいいらしい。お姉さんが「特に難しい作法や技術はいりませんよ」と施術しながら教えてくれた。

バターバター

そのとき同席していた風のドライバーのツェリン君は懐かしさでジッとしていられなくなったようだ。「私にも施術させてください」と小さい頃を思い出しながらクニェを施術してくれた。温かいバターがほどよくて気持ちよさそうだ。クニェを終えると、そのまま背中を乾燥させツァンパを払って拭いたら終了。ひとり20分ほどだっただろうか。こうして子どもたちが遊牧の仕事から戻ったお父さんお母さんをクニェで癒していたのかと想像すると心が温かくなった。そんな親子の触れあいこそがクニェの一番の効能かもしれない。ただ、きっと日本では肩たたきの文化が薄れているように、チベットにおいてもクニェの習慣はすたれてきているようだ。だからこそ、マッサージ好きの日本人がチベットを訪れて、こうしてクニェの文化を再興するのは大切ではないか。そう考えることで、今回の無理な施術のお願いを正当化してみた。

遊牧民のお姉さん(左)。お母さん(中央)。ドライバー(右)遊牧民のお姉さん(左)。お母さん(中央)。ドライバー(右)

しかしながら四部医典には「ルンの病にはクニェを施しなさい(根本タントラ第5章)」「生命のルンを整えるには胡麻油でクニェしなさい(秘訣タントラ第2章)」と簡単に記されるだけで、病院の現場で汎用される療法ではない。また「古いバターはルン病に効果がある(釈義タントラ第16章)」とされ、一年経過したバターを用いたクニェがいいとされるが、医学的な効果はもちろんのこと、古くて食用に適さないバターを有効利用しているとも考えられる。つまり、クニェはツァンパとバターが豊かな遊牧民だからこそ可能な民間療法だといえる。事実、ダラムサラのメンツィカン在学中(2002~2009)に上記のようなクニェは見たことも習ったこともなく、このツアーで初めて伝統的なクニェに出会えたのである。なお、2010年からはじまったメンツィカンの施術センターではアーユルヴェーダ(インド伝統医学)を手本として、バターではなく各種オイルとツァンパを使って現代的なクニェを行っている(第68話)。

クニェの絵解き図
クニェの絵解き図

こうしてチベット式のマッサージを紹介してきたが、少なくともインド・ダラムサラに限っていえば、外国人旅行者に人気のあったマッサージはチベットでもインドでもタイ式でもない。一番人気は日本の「SHIATU」だった。指圧ができる日本人バックパッカ―は大人気。なにしろ日本は他国と比べてマッサージの文化が民衆に深く根ざしている。三年制の専門学校があり国家資格である。「肩でももみましょうか?」は会話の定型句になり、♪タントン、タントン、タントントンと肩たたきの歌があるのは日本くらいだろう。そもそも「肩がこる」はストレスの象徴とともに汎用され、チベット語には「肩がこる」という表現はない。それくらいに指圧の評価が高いことに、海外に出ることではじめて気がつかされたのであった。

そんなマッサージ大国・日本にはアーユルヴェーダやタイ、バリ島など世界各国のマッサージが高度な理論とともに繊細に、かつ神秘的に紹介される傾向がある。多種多様な名前を冠したマッサージが日本流にアレンジされて隆盛を誇っている。ただ、チベットのクニェに限っては、日本の肩たたきのように人と人との触れあい術の一つとして、素朴な役割を担えたらと思っている。


参考
クニェはクムニェとも発音、表記されます。四部医典の教えに従えば、最後に豆の粉で身体を拭くと油分が除去され身体が引き締まるとされるので、興味がある方はフルコースで実践してみてください。また、遊牧民といっても、正確には半農半牧民です。



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