第260回 ブ ~虫~

虫を自分のことのように思いなさい
虫を自分のことのように思いなさい

 クリやコナラなど広葉樹の薪を割るとたまにカミキリムシの幼虫がいる……らしい。食料が現代ほど豊かではなかった時代、フライパンや薪ストーブの上で炒めて食べると「とても美味しかった」と60歳以上の人たちは懐かしそうに語る。そんな古老たちの昔話を聞き出すのは僕の得意技だが、正直、カミキリムシは話のネタだけにしておこうと思っていた。幸いにして僕が薪としている杉とハリエンジュにはカミキリムシ幼虫は生息しない。ところが先日「見つけたぞ」と地元の古老がわざわざ森のくすり塾に持参してくれるではないか。しかも、すでにこんがりと炒めてあり、長さは五センチほどでクリーム色にプックリと膨らんでいる。薬草に関していえば、とりあえず口に入れて確かめる主義の自分としては(第172話”)、ここで食べねば男が廃るというもの。ドン引きしている妻を横目に、幼虫の小さな目を見ながら恐る恐る頭からかじってみる。気分はバラエティー番組の芸人だ。恐る恐る飲み込む。すると……コクがあって驚くほど美味しい。「な、うまいだろ」という古老のドヤ顔もまたいい味を出していた。

 かつて、60年ほど前まで日本各地の田舎ではイナゴなど昆虫が比較的普通に食されていた。そういえば先日、東秩父村で開催した森のくすり塾でも、かつての昆虫食をおばあちゃんたちは活き活きと語ってくれた。特に長野県の伊那地方は昆虫食が有名で、いまもザザムシ、イナゴ、タニシ、蜂の子、スズメバチ、地蜂などを食べる習慣があり、小学校ではザザムシを採取する体験実習まで開催されている。伊那ほどではないが、ここ上田でも昆虫食は息づいていて、近所の八百屋にはたまにイナゴが売っている。先日、自宅の近所の居酒屋「桂」で話のネタにとイナゴやザザムシ、蜂の子などを食べてみたところ、正直どれも醤油で濃く煮つけてあるので食感こそ異なるが似たような味がした。

イナゴイナゴ

昆虫の薬の代表として孫太郎虫が挙げられる。ヘビトンボの幼虫で体長3~5センチ、ムカデのような灰黒色をしている。江戸時代の故事にちなんで孫太郎という子どもの名がつけられた。子どもの疳(かん)の特効薬として昭和30年代まで正式に流通していたらしい。現代機器において成分分析したところアミノ酸の含有量が桁違いに豊富なことが判明した。したがって栄養分が乏しかった時代には効果てきめんだったと思われるが、栄養過多ともいえる現代においては必要性が薄いであろう。とはいえ、これからどんな時代が訪れるかわからない。食糧難や薬不足に陥ったときのためにも、実践はしなくとも知識だけは受けついでおきたいものである。気になってインターネットで調べてみると、どうやら前述のザザムシと孫太郎虫はほぼ同じ種類であることがわかった。

 八世紀に編纂されたチベット医学聖典・四部医典には「小さい虫(チベット語でブ)を自分のように思いなさい(釈義タントラ第13章)」と記されているように、チベット社会において虫は慈悲の対象であって、もちろん、と断言できるほどに昆虫を食さない(注1)。そんなチベット社会で「日本人は海の虫をよく食べるらしいなあ」と指摘されてはっとさせられたことがあった。海の虫、つまり海老(えび)のことである。そういわれれば海老と幼虫のプリプリ感は紙一重というか、見方によっては海老は虫の幼虫である。それからというもの帰国時に大好物だったエビチリがまったく食べられなくなってしまった。2009年に卒業後、チベット色が薄らぐにつれて再びエビチリを食べられるようになったのだが、以前ほど無邪気には味わえない。こうした海老と虫の関係は、チベット仏教を説く際、主観によって対象物の認識が変わってしまう典型的な例として(特に日本人に対して)採り上げられている(注2)。
 僕はハーブや健康茶など現代的な薬草の知恵よりも、おばあちゃん、おじいちゃんの時代、具体的には戦前、戦後あたりの農村の暮らしに根ざしていた知恵に憧れを抱いている。そうだとするならば、キハダやヨモギなど薬草部門や木材の伐採など林業部門だけでなく、蛇(第218話)や昆虫食など表舞台では語られることの少なかった風習も全て実践しなければ片手落ちというものではないか。蛇はウナギ、幼虫は海老と思えばいい。チベット仏教の知恵を手助けに自分を奮い立たせてはいるのだが……。

 

注1
教典には斑猫(ハンミョウ)やカタツムリなど数種類の虫が薬の材料として紹介されているが実践はされていない。

注2
認識対象が心によって仮説(けせつ)されたものであることを示す例として、別の興味深い話を紹介しよう。海老の実物を見たとき、日本人なら、「エビ」という名称を思い浮かべ、それにともなって「海産物の食材」という概念を生じるだろう。しかしチベット人は、「ブ」という名称を思い浮かべ、「水中に住む虫」という概念を生じ、決して食べ物とは思わない。ちなみに、海老に相当するチベット語は存在せず、ブとは虫の総称である。
                               
『チベットの般若心経』(春秋社 2002 P106)



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