川上のネパール・レポート(エベレスト街道編 2)

4.25の本震だけでなく、5.12の余震でも大きな被害を受けた「エベレスト街道」。秋から始まる本格的なトレッキングシーズンに向け、ネパール支店スタッフ・ディルと共に歩いて調査をした様子をご報告します。

▼6/17 「ナムチェバザール/クンデ/クムジュン/タンボチェ」

エベレスト街道トレッキング地図はこちらをご覧ください

ナムチェバザールに宿泊した翌日は、事前情報で被害が大きいと聞いていたクンデ村とクムジュン村を経由し、タンボチェまで向かうことにした。クンデやクムジュンへ向かう場合、ナムチェ裏手の尾根上に位置するシャンボチェを抜けていくのが近道となる。シャンボチェには、ダイニングからのエベレスト展望が素晴らしい「エベレストシェルパリゾート(旧シャンボチェパノラマ)」というロッジがあり、弊社のツアーでも指定宿として利用している。居合わせた支配人に話を伺ったところ、「窓ガラスや外壁にヒビが入ってしまったものの、8月末までには営業再開できそうだ。」という良い情報を教えてくれた。ロッジの庭には鉄骨等の資材が運び込まれてきており、シーズンまでの再開も頷ける状況だった。

エベレストシェルパリゾートの被災状況 エベレストシェルパリゾートの被災状況

この時期ならではの高山植物も多かったです この時期ならではの高山植物も多かったです

シャンボチェの尾根を跨いでナムチェとは反対方向に下っていくと、屋根を緑色に統一した美しい家々が見えてくる。これが、今回の本震と余震により大きな被害を受けたというクンデ村とクムジュン村だ。2つの集落はクーンビラという聖山を背に隣り合って位置しており、イエティ(雪男)の物だとまことしやかに伝わるミイラが残るクムジュンゴンパ(僧院)や、エベレストの初登で名高い故エドモンド・ヒラリー卿が寄贈したヒラリースクールという学校が建つ、この辺りで最も大きなシェルパ族の故郷である。

事前情報通り、この周辺には全壊した民家が多かった。道すがら目にする修復に当たっている人々を放っては置けず、タンボチェまで残しておこうと思っていた作業用手袋はすぐに売り切れてしまった。そこで、クムジュンの村長であるテンジン・タシさん(正確に言うと、現在は村長という制度がないらしいが)や大工のリーダーであるビノド・マガールさんと打ち合わせをし、現在働いている作業員約200名分の手袋を追加支援する事を決定。カトマンズのオフィスにて、これからクムジュン村に戻るという青年に直接渡す手筈を整えた。

前述した学校やゴンパの被害が最小限だった事に安堵し、昼食を食べにキャンヅマという集落へ向かう。いつも賑やかなオバちゃん達が営んでいる露天の土産物屋は休業していたものの、双眼鏡で野生のヤギを眺めている彼女達の相変わらず“かしましい”姿に、エベレスト街道の復興もそう遠い事ではないと感じるのだった。

全壊したクンデ村の民家 全壊したクンデ村の民家

クムジュン村長のカミ・テンジンさん クムジュン村長のカミ・テンジンさん

さて、一度川沿いへ下りたトレイルを登り返すと、クーンブエリア最大のゴンパが建つタンボチェへと至る。早速、僧侶のラクパ・ドルジさんにお願いし、僧院の被害状況を視察させてもらう事になった。幸いなことに、揺れがあった際すぐに広いところへ避難できたため、院内でケガ人は出なかったという事だが、5.12の余震により倒壊した僧房も多く、現在も35名の僧侶全員がテント生活を送っているそうだ。ゴンパで一番大きな建物である集会堂も、上部に被害が出たため再建する予定だと伺った。少し壊れただけとはいえ、石積みを一度壊してから積み直す作業が必要となるため、その労力は甚大なものとなるだろう。シェルパ達の心の拠り所であるタンボチェゴンパの再建にあたり、風の旅行社からも支援金の一部をお渡しする事を決めた。

タンボチェに建つ数軒のロッジも被害から逃れることはできず、弊社でよく使っているロッジも、メイン宿泊棟の二階が大きく崩れてしまっていた。ただし、すでに20名もの作業員が修復作業を行っており、現在でも一部の客室は使用可能な状態だった。なお、ゴンパの裏手にはクライマー・加藤保男氏など数名の日本人慰霊碑が建立されているが、これらはそれぞれ被害もなく無事なようであった。

テント生活を継続しているラクパ・ドルジさん テント生活を継続しているラクパ・ドルジさん

上部の石積みが崩れたゴンパの集会堂 上部の石積みが崩れたゴンパの集会堂

慰霊碑は全て無事でした 慰霊碑は全て無事でした

▼6/18 「タンボチェ/ナムチェバザール/ルクラ」

▼6/19 「ルクラ/カトマンズ」

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タンボチェで宿泊した翌日は、ゴンパで被災者へのプジャ(お祈り)をしてもらい同じ道を引き返した。雨の中長い距離を歩く事になったが、無事に2泊3日のトレッキングが終わった。

私自身、出発前には登山道への影響を危惧しており、ヘルメットやロープを持っていくべきか悩んだりもしたのだが、実際に歩いてみると、そんな心配は杞憂だったと断言できる。ここは「秘境」ではなく人々が行き交う「街道」であり、「人」が歩けば「道」はできる。古より続くシェルパ達の生活やバザールの賑わいがある限り、ここは永続的に魅力的な旅先であり続けることだろう。

先入観や風評被害で敬遠せず、今後もこの美しい街道を歩くトレッカーが増えることを切に願う。

※調査のため日程を短縮しています。高度順応日を設けずタンボチェまで歩いたり、タンボチェからルクラまで1日で歩く手配は通常いたしておりません。

最後までヒマラヤ展望はお預け。また来ます! 最後までヒマラヤ展望はお預け。また来ます!

前回のレポートはこちら

川上のネパール・レポート(エベレスト街道編 1)


4.25 ネパール大地震
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