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通勤電車で、都会の台所 東京湾の漁師町へゆけ

 

文●眞鍋 じゅんこ 写真●鴇田 康則

羽田沖のアサリ漁
羽田沖のアサリ漁

すぐ頭の上を旅客機がぐんぐん高度を下げて、次々に羽田空港に着陸。周りはぐるりとビル群や工場地帯。初めて見た人はきっと仰天する。
「えっ そんな所で漁をするの?」
そんな驚きをよそに、船上で漁師が手にした仕掛けからは、脂の乗ったアナゴがニョロニョロ飛び出した。
江戸前漁師の仕事場は東京湾だ。高級魚として知られる江戸前魚介が、私たちが住む町の目の前で、こうして毎日水揚げされている。
「魚、いっぱいいるよ。俺たちにとっちゃあ、東京湾銀行だよ」と漁師は笑う。意外にもこの大きな入り江は、単位面積当たりの水揚げ量が、世界有数の漁場なのだ。
その理由は、湾内に多摩川や荒川といった何本もの一級河川が山や流域から運び込んだ、プランクトンなどの栄養がたっぷりあること。そこで育まれた小魚や貝類が、大きな魚のエサとなる上に、波穏やかで子育てに最適な海であること。そのまま湾内で過ごせば、荒波の外海に比べて脂や旨みが乗った美味しい魚に成長する。
「東京湾は伊豆の海より魚の種類がずっと多いんですよ」と、伊豆半島出身で現在千葉県の定置網に従事する漁師さんは、こう証言する。それほど魚には住みやすい桃源郷なのだ。
漁師からすれば、巨大な消費地がすぐ目の前という地の利の良さがある。千葉県・東京都・神奈川県の約2,800万人もの腹を新鮮な魚介で満たすため、漁業が生業として成立するのだ。だから、である。地魚料理を食べに、何もわざわざ遠くへ旅する必要はないのである。
そもそも「江戸前寿司」自体が、江戸時代に東京湾で獲れた魚介で編み出された料理だ。現代でも穴子にイカにタコにシャコ、コハダやアジや車エビ、アワビだって、いや伊勢エビさえも棲んでいる。

都会の隣で江戸前地魚を食べる

東京湾地図

「江戸前」というのは、元来江戸の目の前の海のこと。古くは深川や品川あたりを指したが、今ではだいぶ広々と解釈されている「内湾」と呼ばれる神奈川県横須賀市の観音崎と、千葉県富津市の富津岬を結んだ線の内側あるいは三浦半島と房総半島を結ぶ「外湾」もひっくるめて「江戸前」と呼ぶこともある。
対して私が勝手に定義する「江戸前」は、観音崎と千葉県富津市金谷を結ぶ東京湾フェリーの内側。旅人としては、小さな船旅まで組み込めて面白いではないか。
この範囲だけでも、調べてみれば漁師町はわんさかあって、それぞれに得意な漁法が違い、さまざまな種類の魚が水揚げされている。どこも東京駅からほんの数十分からせいぜい2時間弱。都心と逆方向に通勤電車でちょいと揺られれば、日帰りで充分往復できる距離だ。
ご当地には地魚料理屋だってちゃんとある。正直いって、観光案内所やガイドブックで紹介される店じゃない。私たちが通い詰めた末に、「うちの母さんが経営する飲食店に親父が毎日魚介納めているよ」とか、「あの店は元漁師だから、絶対いい地魚を市場から仕入れているね」と、漁師や水産関係者から教えられた秘密の店がある。漁師が魚市場に水揚げした魚介を追って、購入した鮮魚店や料理屋の
ご主人に付いて歩いたこともある。獲れたての地魚をランチタイムに供しているのに、メニューには「地魚」のひとこともない。
「だって当たり前だから」とご主人。これじゃあよそ者には絶対わからない。東京湾は、まさに都会の台所なのである。

都会の漁師は六本木で夜遊びもするのだ

これまで私とカメラマンの夫は、20年来旅をしながら「人の生活」を記録して歩いてきた。
タイやベトナムの都市部や村落、少数民族の暮らし、カナダの移民、日本では過疎村や離島…。そのまなざしをふと地元に向けてみた。これが予想外におもしろい。都会の片隅で生きる普通の人々、中でもこの数年来追い続けているのが「東京湾の漁師」なのだった。
大都会のすぐ目の前にありながら、都市生活者の私たちとはまるで違う体内時計を持った漁師たちは、潮の満ち引きや風の向き、魚の成長といった大自然の呼吸に合わせて淡々と魚を獲り続けている。小舟に乗って1〜2人で行う、昔ながらの漁法が現役なことにも驚いた。
そのくせ、若手漁師は六本木へ夜遊びに繰り出す。船上の昼飯は漁師料理じゃなくてコンビニ弁当だったりする。そしてちゃんと生業として成り立ち、家族を養って家まで建てている。そんな東京湾の漁師に、私は興味しんしんだ。

島国ニッポン 漁業にもっと愛を

羽田沖で江戸前のあなごを獲る漁師
羽田沖で江戸前のあなごを獲る漁師
船橋漁港で水揚げされた地魚料理
船橋漁港で水揚げされた地魚料理

東京湾は江戸時代から沿岸が少しずつ埋め立てられ、昭和30年代には大々的な埋め立て事業が始まった。この100年間で東京湾沿岸の干潟は、実に9割が埋め立てられてしまった。それに伴って多くの漁業者が廃業に追い込まれたが、どっこい漁師たちは残された漁場で細々と生き延びていた。1割の干潟でアサリやアオヤギを獲り、冬場には海苔を養殖する。ワカメや昆布もこの海で作られている。
「東京湾の魚って食べられるの?」
私たちが東京湾に通っているというと、漁師さんが聞いたら脱力感を覚えそうな質問をされることがある。それに対して彼らはいうのだ。
「見ろよ。俺はこの魚ずっと食べているけど健康そのものだよ」。そしてこういって胸を張る。「俺たちが船に乗って毎日見張っているから、海はこれだけきれいになったんだ」。
東京近郊の人たちには、昭和40年代「公害の海」の印象が強い東京湾。でもその汚名も工業廃水の改善や下水道の完備などで、相当解消されている。その海の番人が漁師なのだ。
「水が澄み過ぎちゃうと、魚がかからないんだよね」なんて贅沢をいうほど、東京湾はよみがえったのだと、漁師たちはいう。
実際、埋め立て工事で造成された護岸や人工海浜にも、貝や海藻がじわじわ繁殖する。10年もすれば人工造形物がすっかり自然に取り込まれて、いつのまにか良い漁場になっていたりすることを、彼らは経験則で知っている。
だから彼らはあきらめない。
こうして水揚げされた江戸前魚介は、ほぼ沿岸の1都2県で日々消費されているのだ。
海を汚すのは、私たち自身に他ならない。
そのためにも「食べる人」は、海を覗いて欲しい。魚介が旨いことを自分の舌で確認して欲しい。そして何より、私たちが何気なく毎日口にする「食べもの」が、どれだけの危険と労力の上に供給されているのかを、現場で体感するといい。
日本は四方を海で囲まれた島国なのに、現在魚介は5割が輸入もの。職場面積は国内最大級なのに、漁業者は総就業者数の中で、全国でもわずかに0.26パーセントしかいない。(総務省統計局労働力調査 平成21年2月現在)。何だかくやしいではないか。
だからこそ、私たちは通勤電車で漁師に会いに行くのだ。そしてすぐ近所で獲れた、おいしい地魚をたっぷり食べるのだ。

風通信」37号(2009年6月発行)より転載