添乗報告記

添乗報告記●宮城県・金華山復興支援活動4日間(2012年夏)

 
金華山黄金山神社
金華山黄金山神社

2012年8月・9月 文●竹嶋 友
風の学生スタディツアーは、海外だけでなく国内企画もあります。2012年の夏、私が添乗で訪れたのは、宮城県金華山。
「『地球の歩き方』海外ボランティア」と協力し募集を行っている復興支援ボランティアツアーです。

宮城県金華山は、青森の恐山、山形の出羽三山と並び奥州三大霊場の一つとして知られ、また、東日本大震災においては有人地として震源地から最も近くにあった場所としても知られています。島を訪問し、黄金山神社にて復興支援活動を行うのがこのツアーの趣旨です。

→ 2012年-2013年にかけての年末年始の様子はコチラ
→ 2013年のゴールデンウィークの復興支援活動の様子はコチラ


石巻から鮎川へ

参加者の皆さんとの集合場所である石巻駅前は、「えっ、ここが被災地?」と思ってしまうほど、現在も割れたままの窓ガラスなどよくよく注意しないと分からないほど修繕が進められていました。今回、滞在中の現地コーディネートをして下さる「VCを支援する会」の押切さんと合流し、震災直後の石巻市内の被災状況について話を伺いました。

石巻駅から路線バスに乗車し、牡鹿半島を南東へ。たまたま乗り合わせた坊主頭の野球少年と仲良くなり話をする中で「震災後今までいた学校から転校したんです。今は新しい仲間と野球をするのが楽しいんです。でも宿題が全然できないからお母さんに怒られてばかりです。」と、照れくさそう話す姿が印象的でした。


行きも帰りも牡鹿半島は路線バスで移動
行きも帰りも牡鹿半島は路線バスで移動
奥に見えるのが仮設商店街
奥に見えるのが仮設商店街



石巻駅を出発してから1時間強、鮎川港へ到着。津波により甚大な被害を受けたこの場所には瓦礫撤去後のさら地が広がっていました。ここは牡鹿半島のほぼ先っぽ、今回の目的地金華山はここから船で渡ります。
出航まで少し時間があったので、震災から約8ヶ月後に仮設で開店された商店街「おしかのれん街」で買出し。仮設ですが生鮮食料品店や酒店、電化製品を扱う店、あとはお寿司屋さん中華料理屋などお店の方々が元気に迎えて入れて下さいました。
カキ氷がおいしい暑い日でした
カキ氷がおいしい暑い日でした
12人乗りの船です
12人乗りの船です



金華山へ上陸

鮎川港から海上タクシーに乗り込み20分ほどすると前方右側に目的地金華山が見えてきました。いよいよという気持ちで全員胸が高まります。島全体の周囲26km、山頂の標高は445mで鹿や猿が生息し、珍しい昆虫や植物が発見されるなど、研究者も訪れる神秘の島です。

金華山へ渡る唯一の手段海上タクシー
金華山へ渡る唯一の手段海上タクシー
霧で霞む金華山が見えてきました
霧で霞む金華山が見えてきました



金華山港に船がつけられ上陸。もともとあった船着場の桟橋は地震による地盤沈下で使えなくなったそうで、特設の桟橋を使って上陸します。船着場には、かつて参拝客で溢れかえっていたと思われる御土産屋や軽食店などが入っていたであろう建物がありましたが、今は土砂が建物内に入り、建物を支える鋼鉄製の骨組みも津波による力でグニャとひしゃげてしまっていました。
恐ろしい津波の威力
恐ろしい津波の威力
震災前の桟橋は地盤沈下により水没しています
震災前の桟橋は地盤沈下により水没しています



港には金華山黄金山神社の権禰宜(ごんねぎ)・日野さんがわざわざお出迎えに来てくださいました。トラックで参道を登り黄金山神社へ。途中の道は、神職や重機ボランティアの方々の懸命な修復作業によって、やっと車の往来ができるようになったそうです。本当に頭が下がります。


金華山黄金山神社へ

拝殿へとつながる階段
神が通る道の真ん中は空けます



青銅製の見事な常夜灯
境内に到着後、権禰宜・日野さんが参拝の作法を改めてご教授下さいました。階段を100段ほど上がったでしょうか、拝殿に到着すると、高さ5メートルほどの見事な常夜灯が2基設置されていました。東日本大震災の地震で2基とも倒壊してしまいましたが、その後、福井からの板金溶接訓練指導員のボランティアさんを中心にしたチームのご尽力により、見事な姿へと修繕されたそうです。

私たちの参拝の前に、権禰宜・日野さんが金華山黄金山神社の御由緒、御神徳について解説して下さいました。
その昔、この山から金が採れ、「黄金、華咲く山」から神社の名前が名づけられ、『三年続けてお詣りすれば、金に不自由はさせまい、すまい』と云われるこの神社に、大勢の人々が参拝に訪れていたこと。震災により金華山や本土の牡鹿半島一帯が被災し参拝客が激減したこと。地盤沈下により船着場桟橋が沈み、本土から神社を訪れたくても訪れることが困難な状況になったこと。大地震の後の大きな台風により土砂が崩れ落ち、参道や境内が大きな被害を受けたこと。島全体が宗教法人の私有地であることから、公的機関の支援が構造的に受けづらく、神職の方々自身やボランティアの方々の修復作業で何とかここまでこぎつけられたこと―。沢山のことをお話し下さいました。

今自分が立っているこの場所が震災以降どういう時を刻み、どんな人々が関わられて今に繋がっているのか、なぜここに来たのか、また来るべきだったのか思いを巡らせながら、お話を伺いました。
私たちも手を合わせ、「復興」と「明日からの作業安全」を祈願し、今日から宿泊させていただく参集殿へと階段を下りていきました。

境内の被災状況を見てまわる
明日からの修復活動へ気合が入る



復興支援作業の様子

さて、話は飛びますが、今回新企画として夏に催行した出発日は以下の3ツアーでした。

    2012/8/03(金)発~8/06(月) 4日間  ※石巻発着
    2012/8/24(金)発~8/27(月) 4日間  ※石巻発着
    2012/9/07(金)発~9/10(月) 4日間  ※石巻発着

1度きりではなく、何度も訪れることによって出来る作業というのも多くあります。それぞれのツアーで滞在中に行った支援作業は多岐にわたりますが、ここではそれらをまとめて、写真でお伝えします。



*  *  *


金華山を後にして

地元の海産物がふんだんに使われた海鮮丼!
4日目の午後にチャーター船で金華山を後にし、鮎川港に到着した後、石巻駅行きの路線バスが到着するまでの間、初日にも立ち寄った仮設の「おしか商店街」にて、皆さんお土産を買ったり、自分で楽しむ用の東北産のお酒を買ったり、おすし屋さんで地元の新鮮な魚を使った海鮮丼のおいしさに唸ったり(旨い!)と、思い思いに過ごされていました。参加者の中には初日に交流した店のおばちゃんに「あら! この前の子たち! 金華山どうだった? 神社の方々は皆さん元気だった? わたしらは店があってなかなか行けないし、みんな若いんだからがんばって又来るんだよ!」と、店のおばちゃんに気さくに話しかけられている方もいました。

そういえば私も、ツアー1回目に石巻駅発のバスでご一緒したバス運転手のおじさんと3回目にも同じ路線でたまたま一緒になり、覚えてくださっていたようで、到着するまでの約80分、ずーっと震災の話や金華山の話などをしてくださいました。地元の方の口から震災のことを伺うのはとてもリアルであり、「あのビルあるだろう、あのビルのあそこまで水が来たんだぞ、ほら痕がのこっているだろう、いやー恐ろしいもんだ」と、車窓から見える目の前の光景を、目の当たりにしながらお話されるわけです。
私たちは、その時間その場所にいた訳ではないので、実際どうだったかは当然分かりませんが、目の前にある自分の眼で見ている光景に、聞いているお話の内容を当てはめながら想像し、私たちなりにその当時の恐ろしさを計り知ることはできました。

金華山以外でも、このような地元の方々との交流がありました。もちろん金華山滞在中は、「VCを支援する会」の押切さんや、黄金山神社権禰宜の日野さんはじめ神社の方々と、参加された皆さんが一体となって同じ思いで修復や作業にあたり、食事も同じ部屋で頂くという時間を過ごす中で、体の疲労が気にならないくらいの心地良い連帯感が湧き上がってきました。それらが、作業が終わった後の達成感、そして、金華山を離れるときの「またあの場所、あの人々に会いにいきたい」という皆さんの表情に繋がっているように感じました。

「金華山の復興なくして、牡鹿半島の復興なし」とまで言わしめる黄金山神社の存在。この言葉について、押切さんはこう話してくれました。
「以前のように金華山が復興し、訪れる人が増えれば自然と牡鹿半島を通り金華山に向かう人の流れができます。牡鹿半島に人が通れば途中の浜や村で降りて休憩という人も出てくるだろうし、その土地で海産加工品などの地元名産品などがあればそれを買う人ももちろんいるでしょう。そうなれば、直接顔を合わせることのない今までの“売れるから大量に作る”という構造から、直接お客さんと顔と顔を合わせる商売のしかたが主になり“売りたいものを作る”という構造へと変わるだろうし、そうするべきだと思います。また、その牡鹿半島に向かうには石巻を通りますから石巻も活気が出て、大きな意味でいうと宮城県やもっというと東北全体に人が通り、人の交流だけではなく経済も活発になっていく。」
今でも印象に残っています。

地元の方とお話をする中で「金華山に行ってきます」とお伝えすると、地元の方は
「昔はよく行ったもんで、地震以降はめっきりいってないんだあー、ほれ、あそこの宮司さんの…(続く)」
という親近感に満ちたお話や、おばあちゃんの
「あそこはなぁ、私たちにとっては心の支えみてーなもんで、それと同じくらい生活も支えてもらえるありがてーところで、今は行けねぇけんどなぁ、私もなぁ、金華山には早く復興してもらわないとなぁ、神社さんたちも心配だし、あとは人も来ねぇーと私たちの生活もかかってからなぁー」
など、実際に訪れてみて、地元に方にとってのその存在と期待の大きさを私自身感じることができたように思います。

冒頭で述べたように、金華山は島全体が宗教法人黄金山神社の私有地であるため、公的な復興支援がなかなか受けにくいという問題があります。それを神職の方々やボランティアの方々のご尽力のもと、ここまで、乗り越えてこられました。しかし、参道の修復や地盤沈下で使えなくなった桟橋の問題、参集殿(宿泊施設)の壊れたお風呂の修繕、ため池の泥だし、定期船就航の目処がたっていないなどなど、実際に訪れてみてまだ数え切れないくらいやるべきことはたくさんあります。震災以後、神社におられる神職の方々の人数も減ったそうで、権禰宜の日野さんは「やるべきことは山積みなのに神職の人数も少なくなってしまい、なかなか厳しい状態です」とおっしゃっていました。
来年2013年は黄金山神社にとって「巳年ご縁年大祭」が行われる節目の年。本当であれば通常の年よりもさらに参拝に訪れる方々をお迎えされる準備がたくさんあるはず。
また、権禰宜の日野さんはこうもおっしゃっていました。「とにかくこのような状況であっても実際に来て頂くことはそれだけで有り難く、震災のことが巷間で忘れられても御支援の心を送って頂くことには感じ入るところ多大です。」と。

弊社は、今後も金華山の復興支援ツアーは長期的に随時設定していきます。
皆さまのご参加、心よりお待ちしております。

金華山山頂にて2012年夏の第1回目のメンバー。このときは快晴で山頂からの景色が綺麗でした!
権禰宜の日野さん。滞在中一緒に作業をして下さいます。「祈復興」の字は日野さんが書かれたそう!