第48回●「ウッペル」ダライ・ラマ法王へ捧げる薬

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ウッペル(ケシ科)。 仏典中にも登場する花であることから ダライ・ラマ法王も注目されている。 (写真提供、メンツィカン生薬研究室)

2008年9月、ダライ・ラマ法王の急病によって多くの公式行事がキャンセルされた。そんな中、メンツィカンでは法王の侍医五名が製薬工場の特別室に集まり、伝統にのっとり、祈りを込めながら、全て手作業で法王に捧げる御薬が製造されていた。
代々、歴代ダライ・ラマの侍医はアムチ(チベット医)が務めており、万が一、在任中にダライ・ラマが逝去した場合、罪を負うことになる。事実、1933年に 13世が急逝されたときの侍医チャンバは、法王に投与した風邪薬が医学的に適切ではなかったのではという疑いがかけられてコンボ地方への遠方流罪となった。また、ダライ・ラマは9世から12世に至るまでの平均寿命が18歳という異常に短命な原因は権謀術数による毒殺ではないかといわれており、当然、最も身近な侍医が疑われるか、もしくは管理不行き届きとして罰せられるのはいたしかたないかもしれない。

毒を盛る人間は、喉が渇き、汗をかき、震え、怯え、じっとしていない。ためらいがある表情を浮かべ、あたりをキョロキョロ見回す。こんな人間を発見したならば、全ての人に害を与えるので外へ連れ出しなさい。(四部医典論説部第17章)

もちろん現代において罪を負う事はないが、法王のお命を預かるのは最高の名誉とともに重責を背負うことになる。しかし、法王はチベット薬を普段から健康維持のためにお召し上がりになっている一方で、メンツィカンに対しては厳しい御意見をお持ちになっている。あれは2007年11月、僕たち14期生が卒業記念に特別謁見が許されたときのことだった。
「なに、日本人の卒業生がいるのか。どこだ」
法王の突然の御指名におずおずと手を挙げると、笑いながら
「そうか、日本といえばウドンが美味しいなあ」と衝撃的な御言葉をかけられ、こちらもただ笑顔を返すしか成す術がなかったことはさておき、法王も「さて・・・」と前置きをされると本題に入られた。
「チベット薬というと、なんでもかんでも効果があると謳っているが、それはいかん。しっかりと科学的根拠に基づいて効果効能を書きなさい。それに現代医学を学ばないといけないよ。アーユルヴェーダやユナニ(アラビア医学)にも留学生を派遣して、他国の医学の長所を取り入れていかなければならないと10年も前から言っているじゃないか。ただ、ただ伝統に甘えていてはだめだ」
 法王のお叱りに職員、生徒一同、黙ってうつむいているしかない。それにしても、何故、法王のお声はこんなにも、よく響き通るのだろうか。最初、どこかに小型マイクが隠されているのではと思ったほどだ。そんな疑問にある日本人が答えてくれた。
「きっと、法王はいつも本音で語られているんではないでしょうか。だから声が澄んでいて聴衆の心に届くのだと思います」
 なるほど、と納得する。確かに、この場でなおざりにチベット医学を讃えておけば簡単に済むことだ。さらに法王のお叱りは続く。
「たとえばウッペルという薬草があるだろう。チベット医学では山に咲く花を指すようだが、そのサンスクリット語の語源を探ると、平地の池に咲く蓮に似た青い花のことをウッペルというそうじゃないか。ならば薬にはチベットの花ではなくインドの花を用いるべきではないのかね。アーユルヴェーダの学者と協議してみなさい」

ウッペル・ロ・チン・ツェパ・マルー・セル
ウッペルは肺と肝臓の熱を残らず取り去ってくれる。(四部医典論説部第20章)

ダワ博士が描いたチベット医学のウッペル。ツェルゴン(第1話参)と同じ仲間だが、葉が丸く繊毛が多いのが特徴。博士は絵画の才能にも秀でられている。

 法王の講演禄を振り返ってみると実際に10年以上前からウッペルの話を含め、内容はほぼ同じことを語られつづけていることが分かる。そんな旧態然としたメンツィカンの姿に痺れを切らされたのかどうかは定かではないが、数年前から法王の主治医を現代医学のチベット人が務めるなど、アムチの役割が徐々に薄らいできていたことから、学内では失望と共に焦りの声も囁かれはじめていた。
 そんな中、日本にも馴染みが深いダワ博士が院長に就任して以来、法王のお言葉に従ってさまざまな改革を打ち出し、新しい風が吹き始めている。新しい医学大学の建設による教育制度の改革。オーストリアなど外国組織との連携。学内において意見を交換しあう公聴会の開催。新薬の開発、など。今回の急病に際してもダワ院長自らが入院先のムンバイまで法王に付き添い診察にあたったという。そしてメンツィカンが総力を挙げて御作り申し上げた御薬が、果たしてどれだけの効果を果たしたのかは定かではないが、この11月の来日に少しでもお役に立てていたならば、僕はアムチの一員として誇りに思いたい。そして法王におかれましては、おいしいウドンを心ゆくまで召し上がられることをお祈り申し上げております。
                 (2008年10月記す)

参考:裸形のチベット 正木晃 サンガ新書
ダワ博士は2002年から1年間、富山医科薬科大学に客員教授として赴任されていました。

特別謁見の後の記念撮影。 右端はダワ院長。左上隅は筆者。 青が基調のチュパ(チベットの伝統服) はメンツィカンの制服。

小川 康 プロフィール

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