第49回●「クルモン」ヒマラヤのタンポポ

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

Q: 一般的にいわれているチベット医学の姿と、小川さんの書かれていることの間には大きな隔たりを感じます。果たして実際にはどうなのでしょうか?

(エッセー読者Hさんからの質問)

A:いつも御愛読いただきありがとうございます。チベット医学関係の記述には素晴らしいことが書かれてありますね。「仏教に根ざした全人的医療」「身体を小宇宙のように捉える」「すべてを見通す神秘の脈診」などなど。きっと真理とはこういうことをいうのでしょう。こういった理想を掲げることは大切なことで間違っていません。ちょうど日本国憲法の前文や第九条で戦争の放棄と世界の平和を謳っているようなものではないでしょうか。たとえ現実には(自衛隊が存在するなど)多くの矛盾を抱えながらも、少なくともその理念は素晴らしいもののはずです。外国の人たちが今でも日本にはサムライがいると思っていて、そこに今の日本人が失ってしまった武士道のようなものを夢みていたとしても、それはある意味で真理ではないでしょうか。
 同じように、欧米の文化人類学者によって語られていることは、素晴らしい理想論です。日本の医学も、そして現実のチベット医学もその理想を目指していかねばなりません。医師として特別にチベット医が優れているとは思いませんが、理想化していただくことでこちらも襟を正さざるを得ませんし、いい意味での緊張感が生まれます。つまり学者の手によってチベット医学像が創られ、その理想像に追いつくべくチベット医が頑張って向上しているという不思議な現象が起こっているのです。
 しかし同時に、時に呆然としてしまうほど現実と、外国で紹介されているチベット医学の間には相違があります。そもそも、チベット医の診療は、とても気さくで柔らかく、それだけで素晴らしいものです。そして世界のどの医者よりも薬草に精通しています。世界のどの医者よりもたくましいです。間違いなくチベット医は世界一の薬剤師です!そういえばヒマラヤ薬草実習で一番収穫量が多いのはクルモンという薬草ですが、さぞや特別なものと思うでしょう。ところが実はこれタンポポなのです。いつも足下と現実を見つめて理想化しすぎないことも大事なことではないでしょうか。チベット医学というのはヒマラヤに咲くタンポポのようなものかもしれませんね。

 もうひとつ、脈診についてですが、現実に脈診だけでピタリと言い当てるなんてことは、野球の試合における超ファインプレーが起こるのと同じくらいの頻度です。ただ、本当の名手は超ファインプレーにみせずに何気なくプレーしているように見せるそうですね。同じではないでしょうか、本当の名医は、わざわざ脈だけでピタリと言い当てて驚かすよりも、さりげなく、何気なく患者を癒してしまうものではないでしょうか。患者に必要以上の信仰心と依存心を起させないように。僕はそんな医者に憧れます。ちなみに、教典には次のように記されています

したがって脈診、望診、問診のなかで、問診が一番大切である。(四部医典論説部第24章)
初診の患者には必ず、最初に問診をしなさい。(四部医典結尾部第1章)

 実際に、地元のチベット人は診察室に入るなり「先生、あそこが痛い、ここが痛い」と訴えてきます。一方、書籍を読んだ西洋人は時に手だけを差し出し「ほら、当ててみて」とこちらを試すようなことをします。ちょっと不快な感じもしますが、普段異常の緊張感をもって五感を最大限に働かせることでアムチとして最高の修行になっているともいえます。タンポポだってもしかしたら平地よりもヒマラヤで咲くほうが何倍も苦労があるかもしれませんし、ヒマラヤのクルモン、と注目されることで彼ら(彼女ら?)も襟を正して生きているかもしれませんね(笑)。
 答えになっていたでしょうか。また何かありましたらいつでも御質問ください。私にとってもいい機会だと思っています。それではまた。  

   チベット医学研修医 小川 康


クルモン(キク科。タンポポ)。
撮影、インド・マリー

タンポポの収穫を終えてベースキャンプに戻る生徒たち

採取されたタンポポ



小川 康 プロフィール