小川 康のヒマラヤの宝探>し

第66回●タナトゥク  ~医学の小さな物語~

 

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

tibet_ogawa066_01四部医典を手にし、タナトゥクの絵解きを行なう筆者(写真提供 釜井様)

医学タンカ一枚目「医薬の都タナトゥク」を御覧下さい。チベット医学の教えは、ここタナ(見て)トゥク(美しい)の都で授けられ、四部医典という、たった一冊の教典に全てがまとめられました。それに対して現代の医学のテキストは膨大な量にのぼり、本屋の一階が占められてしまうほどです。現代医学は連載が果てしなく大長編物語なのに対して、チベット医学は昔から語り継がれる小さな物語であるといえます。しかも四部医典は詩文形式で書かれていることから、より一層、親しみやすくなっているのです。私はそんな四部医典冒頭のタナトゥクの件(くだり)が大好きで、もう何百回、いや何千回と空想を巡らしながら暗誦したか分かりません。そのうちに自分自身が本当に都に入り込んでしまい、その空想体験を「童話タナトゥク」として雑誌に連載していたこともあるのです。

では四部医典のチベット語暗誦に続いて日本語の訳をお聞きください。

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むかーし昔、そのまた昔、聖者様たちが暮らすタナトゥクという薬の都がありましたとさ。都の大きさを計ろうにも大きすぎて見当がつきません。その町の建物は全て金、銀、ラピスラズリ(瑠璃色の宝石)、真珠でできており、彩り華やかな宝石で装飾されています。そこからは眩いほどの光が放たれ、その光は全ての病を消し去り、あらゆる望みを叶えてくれると信じられています。

都の南側には太陽山がそびえ立ち、その山にはザクロ、コショウ、唐辛子などの熱性の薬草が生え、北側には雪山がそびえ、白檀、クスノキ、沈香などの寒性の薬木があり、東側には香気山が位置し薬の王様であるアルラがたくさん実っています。西側のマラヤ山には良質の温泉が湧きだし老若男女を問わず気持ちよさそうにお湯につかっています。マラヤ山には薬水も湧き出ており、温泉の後に飲むと格別においしく感じられます。四方の山々には孔雀やオウムが飛び交い、象や熊や麝香鹿が、のーんびりと暮らしていました。

tibet_ogawa066_03北の山に生える
栴檀と沈香木
tibet_ogawa066_02南の山に生えるザクロ
tibet_ogawa066_04東の山に生える
訶黎勒(アルラ)
tibet_ogawa066_06西の山にある温泉



tibet_ogawa066_05観音様や文殊菩薩様など、仏教徒の方々

なんでも今日はお薬師さまの特別な説法が行われる日だそうです。遠く中央にある五層の大宮殿からは賑やかな話し声が聞こえてきます。

「あなた様はどちらからきたのですか?」

「わしは天上界からきた神様で帝釈天というものじゃ。そういうあなた方はどちらから。」

「私はアートレーヤという仙人です。あちらにはヒンドゥー教徒の方々がいらっしゃいますね。その隣には仏教徒の方々が見えられます。それにしても先ほどからお薬師さまは瞑想に籠もったままですが、いつになったら御説法が始まるのでしょうか?」

「じーっと待つことじゃ。われわれの心の準備ができ、そのときが来たら御説法を始められるというが・・・」

大宮殿の中央にはラピスラズリでできた絨毯の上にお薬師さまがじっと瞑想に籠もっておられます。それを取り囲む4つの集団のざわめきが少しずつ落ち着いてきた、まさにその時です!お薬師さまの胸から何千色もの強い光線が四方八方に向かって発せられ、いよいよ医学の説法が始ったのでした。

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出典:チベット医学童話タナトゥク
    『自然治癒力を高める連続講座』(ほんの木)の第1号から8号にかけて連載


チベット医学の教えはタナトゥクに始まり、タナトゥクに終わります。このラピスラズリで彩られた世界の中だけで完結させることにより、迷うことなくシンプルに医学の学びを進められるのです。私も5年間の在学中、四部医典はいつも肌身離さずに持ち歩き、この一冊だけを深く学びました。また、何のために医学があり、どこまで医学は治せるのか、これらを医療教育の冒頭で明確にしている点が大きな特徴であるといえます。たとえば入学して最初の定期試験ではこんな問題が出題されました。

「なぜ天上界の神々でも阿修羅でもなく、動物、餓鬼でもなく、人間を題材として医学の教えを説くのか、その理由を答えよ」
(解答は次号以降で)

実は現代医学の物語も、もとはといえばタナトゥクから始ったのですが、あまりにも大昔過ぎてみなさん忘れてしまったようです。たとえば目薬の起源となった亜鉛(大学目薬)、傷薬の起源となった鉛(無二膏)、熱を癒すカルシウム(胃腸薬)、腫瘍を消し去る硫酸銅(蛸の吸出し)、膿みを癒す硫黄(クレアラシル)、抗生物質の前身である水銀薬、さらには「ワッと驚かせなさい」というシャックリの止め方から、大根の汁を鼻に垂らす民間療法まで記されているのです(第32話参)。凄いでしょう。だから、現代の医療教育もまずはタナトゥクからはじめるべきですよね。いつの日か医学部の医療人類学という授業で、こうやって紙芝居をやってみせたいと思っているのです(笑)。大長編ではなく、まずは親しみやすい小さな物語から始めませんか。

小川さんによる講座情報

チベット医学・絵解き講座(全7回)
2010年1月16日(土)~6月13日(日)
主催:小川アムチ薬房 場所:長野県小諸

(お問合せ・お申込みは主催者へ直接お願いします)

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