小川 康のヒマラヤの宝探し

第247回 シンツァ ~ケロリンの話~

 
ケロリンケロリン

 

 月に一度か二度、気圧の変動のせいなのか偏頭痛に悩まされるのだが、その度に僕はケロリンを飲んで治している。また毎日、通っている別所温泉の外湯においても、ケロリンの風呂桶を使っているので僕とケロリンとの親和性はとても高い。なにしろ僕のふるさと富山を代表する薬であり、頭痛、歯痛薬として大正15年の発売以来、いまも現役の薬である。ケロリンのパッケージは発売当時のまま、頭痛の女性と歯痛の男性がリアルに描かれている。ケロリンに限らず当時の富山の薬のネーミングは面白い。頭と歯の痛みに利くからズバリ(頭歯利)。ケロッと治るからケロールなどがある。

ケロリンの主成分アスピリンの起源は紀元前にまで遡る。ヤナギ属の植物、特に「白い柳」は古代からヨーロッパにおいて痛風、リウマチ、神経痛、歯痛などの痛み止めとして使われてきた。医学の祖として讃えられているヒポクラテス(紀元前460-377)が用いた薬物のなかには、白柳の樹皮を用いた鎮痛剤が記されている。ちなみに八世紀に編纂された四部医典にも柳に関わる薬はいくつか登場し、身近な日本でも爪楊枝の原料が柳であることから柳の鎮痛作用に昔から気がついていたことをうかがい知ることができる。

アスピリンアスピリン

 
19世紀初頭、薬草から有効成分の抽出がヨーロッパにおいてはじまり、1830年に白柳から苦味成分が分離されサリチル酸と命名された。サリチル酸は現在のサロンパスや魚の目治療薬に用いられている成分である。1860年には生薬の白柳から抽出して得るのではなく、石炭を燃したときに滴り落ちてくる液、石炭酸(フェノール)を原料としてサリチル酸を合成することに成功した(注1)。しかしサリチル酸は優れた解熱剤であるいっぽうで、内服すると激しい胃腸障害を引き起こすことが古来よりの悩みの種であった。そこで1897年、ドイツ人ホフマンはサリチル酸に少しだけ化学変化を加えることで副作用を抑えることに成功し、この成分はアスピリンと名付けられた。つまり、天然成分に人間が少しだけ手を加えて副作用を軽減することで西洋薬は生まれてきたのである。アスピリンは現在、解熱鎮痛剤、リウマチ薬としてだけでなく、脳血栓薬など新たな活用法が次々と発見されていっている。

明治維新とともに西洋医学が採用されたといってもその優位性は消毒用のエタノールと麻酔用のクロロホルム程度もので、しかもそれらは庶民には縁のない薬だった。はじめて庶民がようやく西洋薬の恩恵に触れたのはアスピリンの白い粉であろう。それまでの民間薬や漢方薬では頭痛、発熱、歯痛に対して即効性は望めなかった(注)。だからこそケロリンは民衆から受け入れられた。富山の配置薬というと漢方のように天然の生薬と思われている節があるが、西洋薬、つまり「石炭や石油を出発原料として作られる分子レベルの薬」の合成技術をいち早く取り入れたからこそ戦前戦後にさらなる発展を遂げたのである。

シナモンシナモン

 

アスピリンだけではない。ケロリンに配合されているシナモンは柳とおなじように古代より多くの民族で使用されていた薬剤であり、胃腸への副作用をさらに抑える役割ともに、馴染みのある風味のおかげで服用しやすくなっている。チベット語ではシン(木)ツァ(塩)といい、ザクロ五味散(第37話)などやはり胃薬として多くの丸薬に配合されている。そしてカフェインも古来より人類に親しまれてきた薬剤であることを考えると(第239話)、ケロリンは人類にとってもっとも馴染み深い配合薬といえるかもしれない。ロキソニン、イブプロフェンなど病院で処方される解熱鎮痛薬の多くは元をただせばアスピリンから発展したもの(注2)。だから「頭痛ですか。それなら近所のドラッグストアでケロリンを買ってください」。そんな処方箋を出してくれる医者が増えたらいいのだが、実際には保険が適用されないがゆえに難しいだろう。

人類にとってそんなに多種多様の薬はなくてもいいのではと思うことがある。あればあったで薬の過剰投与、臨床データの改ざん、動物実験など、マイナスの面が同時に目立ってきてしまう。だからアスピリン、コーヒー由来の疲労回復剤カフェイン(第239話)、ケシから採れる鎮痛剤モルヒネ、麻黄由来の喘息薬エフェドリン(第5話)、甘草由来の抗炎症薬グリチルリチン、青カビ由来の抗生物質ペニシリン(第244話)、キハダ由来の胃腸薬ベルベリン、酒由来の消毒薬アルコールなど、2000年以上に渡って受けつがれている植物由来の現代薬があるだけで、(もちろん対応できない疾病があるだろうが)十分な社会生活を送ることができるのではないだろうか(注3)。100年前から変わらないケロリンのパッケージはそんなことを考えさせてくれる。

注1
当時、ヨーロッパでは石炭灯が街を照らしはじめていた。しかし、その廃液である大量の石炭酸の処理に頭を悩ませていた。そんなとき石炭酸の構造式とサリチル酸の構造式が似ていることがわかり、原材料として活用することを思いついた。

注2
アスピリンからさらに発展して、さらに強力なイブプロフェン、インドメタシン、ロキソニン、ボルタレンが作られた。ただし、アスピリンはアスピリン喘息、ライ病症候群など、重篤な副作用を稀に起こすので安易な服用は禁物である。

注3
2000年の時を越えて活躍している薬剤はアスピリン、モルヒネ、コカ葉から採れる麻酔薬コカイン、エフェドリン、ベルベリン、カフェイン、グリチルリチンなどだけである。

参考リンク https://www.kerorin.com/



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