宮本常一「忘れられた日本人」

つむじかぜ454号より


旅する巨人』(文春文庫)を読んでいたら、やっぱりこの巨人=宮本常一の著作を読みたくなった。早速、中野の本屋で『忘れられた日本人』(岩波文庫) を手に入れた。昔の作品は、旧仮名遣いだったり、訳が下手で読みづらい場合があるが、宮本常一の文章は平易で読みやすい。

ただ、古い制度、風習、生活の道具、農具など、どうしてもその意味するところや物そのものが分からない場合がある。たとえば「辻」という言葉は、大きな道路が十字に交差したところで人が行き交う場所というイメージだが、「辻寄り合い」でいうところの辻は、村の大きな道を意味し、必ずしも十字に交わらなくても辻という。

一揆といえば、近世の土一揆、百姓一揆のイメージが強く、暴力的な抗議行動という印象だが、実は、嘗ては、契約を結んで共同で目的を達成しようとする組織そのもののことを指した。必ずしも反体制的なものではない。

私は、農家に育ったわけではないので、田植えの経験も学校の授業くらいしかないが、田植えの日に、苗を田に植える女性のことを「早乙女」という。昔、田植えは女性がすることが多く、男性は苗代から苗をとって運ぶ役目だったようだ。「早乙女」とは、なんとも綺麗な言葉だ。

などなど、いちいち疑問に思うと調べては読み進むのでなかなか進まない。「忘れられた日本人」の中に「名倉談義」が収められている。私が生まれ育った南信州に近い愛知県・旧名倉村で老人4人の談義を書き取ったもので、つい目を引かれた。

宮本常一が、この旧名倉村に調査に入ったのが昭和31年の秋、それから何度か重ねて訪れて「名倉談義」がまとめられた。ということはこの老人たちは明治20年くらいの生まれだから、明治、大正、昭和、そして戦後の激変の生き証人に違いない。

旧名倉村がある信州、三河、遠州の境一帯は、大変な山奥だ。昔は、米もあまり穫れず貧しく、粟や稗などが食の中心だったようだ。この山奥の村が変わり始めたのは、道ができたことからだという。駄賃馬で荷を運んでいたのが馬車になり、それがトラックに変わって馬車が廃れていく。

バスが通るようになって、鉄道の駅まで出られるようになったら、婚礼道具などは近隣の町で買っていたのに、豊橋まで出られるようになり、嫁取りも、遠くの村からも迎えるようになった。その結果、逆に、家の格式などが重んじられるようになり結婚式は派手になった、などなど話は尽きない。

「昔は、今の人たちの倍は働いた。それでも食べられなかった。今は、半分働くだけで食っていけるんだからえらいもんだ」そんな老人の言葉が印象的だ。一杯働いて損をしたなどとは考えない。隠居したこれからもずっと働きたいとも言う。

貧しさも古い因習もなくなってきたが、何か忘れてきたものがある。それがこの本のテーマである。もう少し、本を読み進めてみようと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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