諭してくれる師の存在

つむじかぜ310号より


政治家の『失言』は、今に始まったことではありませんが、辞任した柳田法相の発言はレベルが低すぎました。何故あんな発言をするのか。私ならず誰しも不思議に思うに違いありません。

元来、政治家の失言は、興奮してついつい“本音”が出てしまうケースが多いようですが、仙石官房長官の『暴力装置』発言もそうでしょう。そういう意味では、かなり本質的な内容を含んでいたりしますから面白くもあります。しかし、柳田氏の場合は、単なる軽口で、普段からああだったそうですが、国務大臣という責任ある立場になっても、それが直らなかっただけだったようです。それに付き合わされた周りは迷惑な話です。

いざという時だけきちんとしろと言っても難しいものです。日ごろから、人として、政治家として、どうあるべきかと考え行動すべきでしょう。もちろん、そんな聖人君主みたいな立派な人は少ない訳ですが、一般の私たちだって、まじめに精進し努めなければ周りから評価されません。

会社でも、どんなに力があっても優秀でも、その人の評価は成果だけでは決まりません。その人の日ごろの言動で自ずと決まってくるものです。但し、周りが単に保守的なだけで目立つ人間をつぶしたり、権威主義が横行することもありますから、会社そのものが、風通しのいい組織である必要があります。

若い頃は、どんなにやんちゃでも、年齢を重ねるにつれ、ときには踏みとどまって自らの襟を正して行動するようになるものだと言います。そうならないとしたら、その人を諭してくれるよき先輩がいないからだと私は思います。

もちろん、力関係だけで仕方なくお付き合いしているような先輩ではなく、心から尊敬し、叱咤激励してくれるような師がいれば、自らも師のようになろうと努力し師を乗り越えようとするものです。

先週の『龍馬伝』に出来てた武田鉄也扮する勝麟太郎は、脚本のせいか武田鉄也の気持ちが入りすぎた為か、新撰組に『俺が切らせない』などと大見栄を張って少々大袈裟でしたが、竜馬の師の一人であることは間違いがありません。どんな師をもてるかもその人の力量の内かもしれません。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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