加藤周一『読書術』を読む

つむじかぜ476号より


加藤周一の『読書術』は、今から50年以上前に書かれた。岩波現代文庫のあとがきでは「読書術などというものがそう簡単に変わるはずがない」と述べている。読んでみて確かにそうだと感じる。それが証拠にというわけではないが、私の読書法と同じことが書かれている箇所もあり思わず頷いてしまった。

読み始めてみると、一ヶ月ほどの口述で仕上げた本というだけあって大変読みやすい。私は、加藤周一というだけでいつも構えてしまう。「さあ読むぞ」と力を入れないと読み出せない。もちろん、決して同氏の文章が解り難いのではない。内容を理解することが難しいのだ。否、理解する力が私には不足しているのだと思う。

但し、この本はすらすらとは読めるが、自分の能力の貧弱さを強烈に感じさせられるので、その点は覚悟しておいたほうがいい。例えば、書中のかなり多くの部分が、外国語本の読み方について書かれている。

英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、ラテン語など、幾つもの言語で自由に原書を読める人が、この世にいる事態に驚いてしまう。小林秀雄の話も出てくるが、原書と翻訳を並べてひたすら両方同時に読めば自然に読めるようになる。などと言われても呆然としてしまう。

こういうことは、異次元の世界だと思って無視を決め込むことにして、以下、いくつか私の読書法と同じだと感じたことを挙げてみる。

「読書は時間さえあればどこでもできる。机は要らない。しかし、より読書に集中したければ交通機関の中、外洋航路の貨物船が一番だ(私の場合は電車の中だが)」
「同時に3冊以上の本を読む。この方が早く読める」
「本を持って旅に出る」
「教科書はまず1冊をじっくり読む」
「早く読むときは、拾い読みをする」

私は、3冊ほどの本を同時に読む。時には、読み始めてはみたが50ページほど読んでも興が乗らない本は、そのまま読まずに「積読」にまわることも多いが気にしない。

誰しも、旅に本を持って出るに違いない。海外旅行の長いフライトならたっぷり本が読める。疲れたら、本を替えたり映画を観る。ホテルの部屋で読むのもいい。旅先では、意外と朝が読書に向いているように思う。

本は、読めば読むほどもっと読みたいという欲求が強くなる。読みたい本は、増えるばかりだ。もちろん、一生かけても高々読める本の数はしれている。何回も繰り返し読める一冊の教科書が見つかればそれに越したことはない。いずれにしても、一生、本を読むことを愉しめたらいいと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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