「舟を編む」を読んで

つむじかぜ505号より


『舟を編む』(三浦しをん著、光文社)とは、どういう意味だろう。2012年の本屋大賞に輝いたこの小説の題名が、以前から気になっていた。舟とはこの場合、国語辞典のことである。 『風が強く吹いている』(三浦しをん著、新潮文庫)が青春版なら、『舟を編む』は、大人の清々しさを湛えている。

とてもいい本である。Amazonでは、以下のように紹介されている。

玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか──。言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる三浦しをんの最新長編小説。

こう紹介されると、『大渡海』が構想から出版までに何年かかったか想像できないが、なんと14年である。実際、三省堂の大辞林は28年もかかっている。『大渡海』監修で登場する老国語学者の松本朋佑は、ついに発行間近で癌に倒れこの世を去ってしまう。

この松本先生の話がいい。日本は、他国と違って、辞書を国家が編纂しない。もし、国家が編纂していれば、もっと潤沢に予算が使えたかもしれない。しかし、民間の会社が編纂するから、国家の干渉を受けず、純粋に言葉に向き合えた。それが良かったと、馬締との最後の食事になった蕎麦屋で馬締に語りかけた。

筆者は、「そんなことは考えたことがなかった」と馬締に言わせている。確かに、民間企業がやるには、金がかかり過ぎる。国家的な事業だと私も思う。
しかし、言語は、国によって管理され国によって支配されて良いのかという疑問が生じる。吉里吉里国の独立も、そんな言葉への国家の支配が、主因だったではないか。日本の出版社を見直す必要がありそうだ。

「舟を編む」ことも、ものづくりである。しかも、こんな長い間、ひとつのものを作り続けるものづくりは珍しい。むしろ、物を作る以上に、ものづくりへの熱情がなければ叶わない。しかし、一時の激しい熱情ではダメだ。地味にこつこつと続ける淡々とした熱情が必要だ。しかし、馬締もその部下も、我慢して頑張ってなどいない。むしろ、楽しんでいる。言葉に夢中になることを楽しめないと続かないに違いない。

羨ましい。こんな仕事ができたら最高だろうなと思う。辞書の発行とは、発行したその日から改訂作業が始まるという。何故なら、言葉は生きている。日々変わっていく。だから改訂は、生きた辞書であり続けるためには欠かせない。日々、用例を採集しカードに、それを山のように積み上げていくのだそうだ。

「不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる」
なるほど、上手い言い方をAmazonはするものだ。是非、お読みいただきたい一冊である。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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