『アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける』

つむじかぜ518号より


『アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける』(本多勝一著 教育社)この本をお読みになった方も多かろう。極地探検の話は、実に面白い。

二人の人類初の南極点到達を競った大レースはあまりにも有名だ。二人の探検家としての優劣に関しては、様々な評価があるが、優劣をつけることに意味があるとは私には思えない。

確かに、アムンセンは、周到な用意をし、すべてが計算されたかのような冷静なレース運びだった。例えば、アムンセンは、犬にそりを引かせ、日を追ってそりの荷物が減ってくると、犬を殺して、その内臓はその場で他の犬の餌にしている。それが残った犬たちを元気にするということも計算している。残った肉は、帰路のための食料としてデポする。帰路で、その生肉を犬が食べればまた元気になる、とそこまで計算してのことだ。

だから、116頭もの犬(スコット隊の3倍)を南極に持ち込み、輸送手段兼食料として使っている。その冷静さには舌を巻く。

それに比べて、スコット隊は、馬を輸送手段の主力にすえ、犬は補助的な役割としか考えていなかった。馬が倒れても、その場で食料にはするが、帰路の食料デポに使うなどという発想はまったくなかった。

その結果、夏の南極点到達レースに備えて冬の間にルートの数箇所に食料や燃料のデポを設置するという極めて重要な作業に、スコット隊は失敗している。南極の冬の寒さに、馬が耐えられなかった上に、犬を使おうにも訓練不足で役に立たなかったのである。結局、本番の夏のレースでも途中から、すべて人力で食料等を積んだそりを引っ張って南極点まで行くことになってしまっている。

この他にも、スコットの探検家として、さらにはリーダーとしての資質に疑問を抱くようなことが多々ある。極地のような極限の状況では、人の生死もリーダー次第である。逆に言えば、生死を決めるための判断として、集団の意見の総和が正しいかと言えばそうではない。

優秀なリーダーの判断こそが生き残りの道を開いてくれる。それを、リーダーは自覚しなければならない。判断を、メンバーに投げてその総意に従うことは、リーダーとしての責任放棄に繋がる。そのことを肝に銘じておくことだ。

アムンセンは、北極に行くと言って資金を集めたのに、出航してから南極に切り替えた“嘘偽りの人”として、スコットの母国英国では酷評された。アムンセンがいなければ、我らがスコットが南極点一番乗りだったのに、という恨み節も入っていよう。

どの国も、身びいきだから仕方なかろう。最後まで、英国軍人としての姿勢を崩さず、冷静な手紙を書き残したスコットには、“悲劇の探検家”として同情が集まった。

アムンセンには遅れたものの、スコット隊は、馬も犬も使えなくなってからは人力でそりを引っ張って南極点に達している。私も、判官贔屓かもしれないが、その意志の強さたるや賞賛に値する。しかし、こういう精神主義で通用するほど極地は、甘くないということである。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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