ネパール 旅の顛末(その1)

つむじかぜ521号より


「天気最高ですね」悪いことばかりは続かない。香港で4泊もさせられたかわりだろうか。これ以上ないと思われるような晴天が続いた。無信心の私だがこころから“神様”の配慮に感謝した。

「つきのいえ」、「はなのいえ」から望むアンナプルナ山群とマチャプチャレの美しく雄大な姿は筆舌に尽くしがたい。車椅子の障害者Aさんとその介助者の方々で「つきのいえ」から「はなのいえ」を車椅子で、美しいヒマラヤを望みながら踏破する。それが今回のツアーの最大の眼目。2人のネパール人の若いポーターに助けられながら見事に達成した。

すべて、Aさんの粘り勝ちである。実は、香港で3泊目が決まったとき、私が「日本に帰りまたの機会に仕切りなおしましょう。」と進言した。Aさんも、納得されたので、カトマンズ行きをキャンセルして翌日の成田行きを予約した。ところが、Aさんが「やっぱり、一泊でも良いから行きたい。もう、チャンスはないかもしれない」そうおっしゃられ、再び、カトマンズ行きの予約に戻したという経緯があった。

そうと決まれば、意地でも飛ぶまで粘るぞ。とみんな心新たに“香港ホテルライフ”に臨んだが、翌日、今回のカトマンズ空港閉鎖の原因となったトルコ航空の事故機の機体を、滑走路から移動させることを、救援に来たインド軍が諦めて撤退した。と聞いたときには、流石にもうだめだやっぱり日本に帰るしかないと落胆した。

ところが、その日の内に、トルコ航空の機体がどけられ空港は翌朝再開される。という報が飛び込んできた。翌日、香港5日目、13時30分、ついに飛行機はカトマンズに向けて飛び立った。考えてみたら、まだ当初の予定の一日目がまだ終わっていない。あまりにも長い“行程一日目”である。

カトマンズの空港に着くと、今度は、預け入れの荷物を受け取るのに一苦労。たった3台のターンテーブルではさばききれず、どこから自分の荷物が出てくるのかも分らなかった。一時間余りかかったが何とか荷物を受け取り外に出たが、今度は、迎えに来たネパール人の黒山のような人だかりでガイドとすぐに会えないという、通常ならありえないようなことまで起こった。風ダルバールホテルに着いた時には流石に力が抜けて動けなくなった。

国内線が4時間遅延したりもしたが、エベレスト遊覧飛行も飛び、当初の日程より一日短くなったがほぼ予定通りに日程をこなし、無事帰国の途に着いた。さあ帰りましょう。そうお客様を促して空港のゲート前まで行った。なんと「2時間遅延」とまた言われた。理由は“空港閉鎖”。おいおい香港と同じじゃないか。頭がくらくらした。滑走路を示すランプが破損しそれを修理するという。

「2時間?いやもっとかかる。下手したら飛ばないかもしれない」。お客様には、すぐにトイレに行ってもらった。トイレはすぐに詰まって使えなくなるに違いない。水とビスケットを買った。Aさんを横にならせたいと主張し、もう一つ中のゲート直前の部屋に入れてもらい全員を座らせAさんが横になれるスペースを確保した。

結局5時間の遅延。朝の4時過ぎにようやく飛んだ。香港での乗り継ぎ便には当然ながら間に合わない。きっと飛行機を降りたところで航空会社のスタッフが対応してくれるだろうと考え、ひとまず機内で浅い眠りに着いた。4時間ほどで香港に到着。飛行機をおりてゲートまでくると案の定、ドラゴン航空のスタッフが待っていた。

「乗り継ぎ便は、すべて満席です。ホテルをご用意します」。おいおい冗談じゃない。もう香港には泊まりたくない。そんなことお客様に言えるかいな!

(来週に続く)

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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