杉原千畝

*風のメルマガ「つむじかぜ」536号より転載

杉原千畝(スギハラチウネ)のことを知ったのは10年ほど前である。ある知人から教えてもらったが、そんな日本人がいたのかと強い衝撃を受けたことを今も覚えている。

杉原千畝は、第二次世界大戦中の1939年にリトアニアの日本領事館に日本領事館領事代理として赴任した。当時、ナチスドイツから迫害を受けたユダヤ人たちは、ポーランドから更にリトアニアへと逃げてきていたが、ナチスの手が間近に迫り今日にも収容所送りになるかもしれないという切迫した状況にあった。

それらのユダヤ人が、リトアニアの日本領事館に日本の通過 ビザを求め押し寄せたのである。杉原千畝は、5人の代表に会い事情を聞いた。まさに彼らの命は通過 ビザ発給の可否にかかっていた。

杉原千畝は外務省に通過 ビザの許可を求めて電報を打つが、ついに許可は下りなかった。しかし、彼は、外務省の指示に従わず、職を失うどころか、もしかしたら命を狙われるかもしれないという恐怖を振り払い、約6000人のユダヤ人に通過 ビザを発給した。

海外では、杉原千畝の評価はとても高いが、日本ではそれほどではない。何故か。実は、戦後、杉原千畝は外務省を辞めさせられている。役人の世界では命令に背いたものを評価することなどできないのかもしれない。

この杉原千畝を「決断!命のビザ」として一人芝居で演ずる役者がいる。水澤心吾(ミサワシンゴ)である。TBS「ふぞろいの林檎たち」パート3に中井貴一の兄の役として出ていたそうだ。

実は、先週の土曜日、この水澤心吾の公演を八ヶ岳高原ロッジのコンサートホールで見る機会を得た。これは、是非皆さんにもお奨めしたい。素晴らしいの一言である。▼水澤 心吾オフィシャルサイト

講演が終わると、彼はどうしてこの一人芝居をやるようになったかを語り始めた。芸能界という派手な世界でうぬぼれ数々の失敗をし、一時演技から遠ざかったが、自分にはやはり演ずることしかないと気づいた。しかし、60歳を越えたとき、もう金のためや名声のために演ずることはしたくない。自分の演技が少しでも社会に役に立つようなことができないかと考えた。

そんな時、この作品に出会ったそうだ。しかし、彼は、「自分には杉原千畝を演じられるだけの愛情を持っているのだろうか。自分が同じ立場に立たされたらどうしていただろうか。妻と息子3人をつれて日本にすぐに逃げ帰ったのではなかろうか。そんな自分に、千畝さんを演じる事は出来るのだろうか。」と思い悩んだそうだ。彼にとってこの作品は、役者として演ずるというよりは、自分自身の心の表現になっているのだろう。

今、彼は、1000回の講演(現在200回少々)を目指し、86歳まで演じ続けるそうだ。芝居もさることながら、私自身も、60歳を越えてできることが自分にあるだろうかと最近はよく考える。水澤心吾氏がとても眩しく見えたのは、そのせいだったのかもしれない。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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