SEALDsの理念と手続き論

*風のメルマガ「つむじかぜ」546号より転載

あっという間にSEALDs奥田愛基氏が時の人になった。国会の公聴会で老練な学者たちに混じっての堂々たる意見表明には驚嘆した。眠っている国会議員を優しい言い回しだが一喝したあたりは痛快ですらあった。

SEALDsの名前は聞いていたが、その内容はまったく知らなかったので調べてみた。

以下SEALDsのホームページより転載
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SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。

私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します。
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また、9/16の国会での公聴会では以下のように言っている。

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日本語で言うと、「自由と民主主義のための学生緊急行動」です。(中略)私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えて繋がっています。最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える、国のあるべき姿、未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。
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確かに、自分たちで考え行動しているようだ。既制の政治団体や思想に染まっている感じはない。ただ、理念的には自民党となんら変わることがなく「自由と民主主義」の信奉者であるようだ。もちろん、こうした若い人たちが、考え行動することは大歓迎だ。

しかし、イデオロギー云々を論じても、もはや時代的な意味は持たないことは判っているが、60年安保から全共運動までを経験した人たちにとっては、この現象は、日本の思想史がどこかでプツンと断絶してしまった印象を与えるに違いない。

「戦争には、誰しもが反対である」。とよく言われるが本当にそうだろうか。国家を防衛する戦いなら仕方ないと思っている人は多いし、防衛だけじゃあ国は守れないと考えている人も多い。中には、国家のために闘って死ぬのは誉れだ、とすら考えている人もいるに違いない。

「戦争には、誰しもが反対である」という前提から脱して正面から議論しないと、今回のように“憲法違反だ”という手続き論に終始するような結果になる。結局、集団的自衛権の中身の議論はそっちのけで、解釈改憲だという、ちょっとわき道にそれた議論になってしまった。

もちろん、解釈改憲などとんでもないし、今回のやり方は、日本語の曖昧さを利用して何でも解釈次第だという悪習を日本中に広めてしまい情けないことこの上ない。この手続きに腹立たしさを覚えた人が大勢いたのは当然である。

それにしても、人間は国家という鎧を着ると、何故、戦争を是認していくのだろうか。自分の子供や孫が戦争に行って嬉しいはずがないのに、それすらも“誉”に変えていく構造が国家にはある。国家とは、戦前の日本のように、コントロールの効かない化物になって暴走する。そのことを恐れる気持ちが必要だ。自分はそうならないとは言い切れない。少なくとも私はそうだ。そうでないと「○○が攻めてきたらどうする」という問題提起にどう答えてよいか判らなくなる。

いずれにしても、日本は、大きな曲がり角に来た。「戦争は、戦争に行かない年寄りが始めて若者が死んでいく」。まったくもってその通りである。そうならないことを願いたい。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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