回想

*風のメルマガ「つむじかぜ」549号より転載

数日前、私の田舎にある温泉施設の駐車場で拳銃に撃たれて男性が死亡した。最近激しくなっている暴力団抗争とのことだが、その施設は、私も何回か使ったことがあるし、私の生家から1kmくらいしか離れていない。自分がよく知っている場所でこういうことが起きると、危険が自分の身に迫っているような不思議な感覚になる。最初報道があった時は、暴力団云々は報じられなかったので、まさか知っている人じゃあないだろうな、と心配になった。つい、高校時代の友人の顔が何人か浮かんだ。まさか、拳銃で撃たれるようなやつはいないよな、とよからぬ想像を打ち消した。

暴力団抗争はともかくとして、最近は殺人事件が多い。毎日のように報じられるので、もうどの事件かも判らなくなるほどだ。目を覆いたくなるような残忍さや、やり場のない不可解さが際立つような事件が多く、マスコミ報道の是非すら感じてしまう。暗部に蓋をしろと言うつもりはないが、こうした報道が子供たちに知らなくてもいいことを知らせ、不感症にして罪悪感を薄れさせてしまっているのではなかろうか。ひいては、次なる事件を誘発させるのではなかろうか。そう感じることが多い。

「日本は恐ろしい。毎日、人が殺される」。そういい残して自分の国に帰ったネパール人がいたが、私も同感である。つい、テレビを消したくなる。

話はまったく別だが、先ほどの温泉施設の近くに、友人の家があった。小学生の頃、毎日のように彼と遊んだ。彼の行動範囲は広く、あちらこちらの川や沼に釣りをしによく行った。春になると、別の友達の家がやっている果樹園に出かけ、彼と一緒に梨の袋かけのバイトを毎日のようにやった。とにかく何時も一緒だった。彼は、器用で何をやらせても一番だった。梨の袋かけもまったくスピードが違う。運動だってダントツだ。特にすごかったのが水泳と長距離走。小学校の低学年で、綺麗なクロールで1,500mを難なく泳いでいたし、中学生になると15校くらいが集まる地区の陸上競技会で2,000m走で優勝してしまった。

そんな彼が、高校生のときに癌で他界した。高校進学で学校が異なってからはすっかり親交がなくなっていたので、亡くなったことも後で知り、墓参りだけに行った。あれほど野生的で元気なやつが何てことだ、と唖然としたが、しばらく会っていなかったので実感がまったく沸かなかった。むしろそのことに戸惑った。あれほど一緒に遊んだのに。

田舎で起きた暴力団抗争のニュースでこんなことを久しぶりに思い出した。土地の風景や地名に引きずられ、子供の頃のあれこれの情景が浮かんできた。彼の生家は今もあるのだろうか。あの墓はどうなったのだろうか。来週、仕事で田舎に帰る。昔の記憶を辿って墓参りをしてこようと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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