復興の違和感

*風のメルマガ「つむじかぜ」552号より転載

亜細亜大学のホスピタリティ・マネジメント学科の有志で、『第4回東北ボランティアツアー』が行われた。私が担当しているトラベル専攻の学生が中心になっており、私がこのツアーの引率者になっている。そんな訳で、10/22の木曜日から25日の日曜日まで釜石に行ってきた。

釜石では、『一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校』の柏﨑未来さん他、スタッフの方々にお世話になった。3.11で津波が押し寄せ裏山に逃げて助かった『宝来館』の現場に行き、臨場感溢れるお話を聞き、その後、新しく鵜住居地区に建設される学校の建設現場を見学させてもらった。

鵜住居地区といえば、防災センターに避難した200人以上が犠牲になったことで耳目を集めたが、一方で『釜石の奇跡』も大きな話題になった。釜石市内の小中学校では、群馬大学の片田敏孝教授の指導で繰り返し行っていた避難訓練が功を奏し、全児童・生徒計約3千人が即座に避難、生存率99.8%、一部、病気で欠席した子らを除いて全員が避難したのである。その小中学校の一つ、釜石東中学校と鵜住居小学校が新しくなるのである。

建設用地は、山を切り崩し、海から14m以上の高台を作ってそこに建設される。すべて文科省の予算で敷地の造成も含めると80億円を超えるそうだ。幼稚園、小学校、中学校まで同じ敷地内に立てる。その模型を見せて頂いたが、その大きさに圧倒されてしまった

もう一つ大規模建設の話を聞いた。この新しい学校が建つ場所からも見える元の小中学校があった場所に2019年のラグビーのワールドカップに備えてラグビー場が建設されるというのだ。「新日鉄釜石の7連覇」を思い出す。今もラグビー熱が高いに違いない。地元の方々の思いが詰まっているのだろうが、ワールドカップ終了後の維持費はどうするのだろうか。あの夕張炭鉱は、炭鉱廃坑後、公共事業漬けになって町がその維持費で結局破産したが、ここもそうなるのだろうか。釜石市の人口は今や35,000人ほどで、最盛期の1/3になろうとしている。

「震災後の街の再生に関しては激しい議論がありました。高台移転を決めたところ。盛り土してかさ上げしそこに町を作ろうと決めたところ。もっと高い防潮堤を造るところ。景観をこわすからと高い防潮堤つくりを拒否したところ。対応は様々です。ただ、もう決まってしまったことですから、何とか住民のためになる街づくりを目指したいとおもいます」

そんな趣旨のことを柏﨑さんは仰っていた。東北はすごい勢いで変わり始めている。学校のあまりの大きさに感じた違和感は、外部の人間の勝手な郷愁なのかもしれないが、自然に逆らっているような気がしてならない。

絶対に津波が来ない高台に移転し新しい町を作り、漁港や市場など海の近くで働く人たちは、いつでも逃げられるように避難路を確保し避難方法を身につける。それが一番自然と調和する方法ではなかろうか。もちろん素人考えだし、現地の人の気持ちも知らないで勝手なことを言うな、と怒られるかもしれないが、心配でならない。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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