父を思う

*風のメルマガ「つむじかぜ」553号より転載

わたしの父は、大正14年生まれ。西暦に直すと1925年生まれだから今年で90歳になった。下の世話が大変になり、この3月からついに老人ホームでお世話になっている。義姉の話では、大変よい環境とのことだったが、私は、どんな老人ホームか見てみたくなってこの夏に帰郷し訪ねてみた。なるほど、建物も新しくて明るくて衛生的である。また、小規模で介護が行き届きそうな好印象を受けた。

父は話もわりとしっかりしていて安堵したが、自分がしゃべっていない時は、ぼうっと一点を見つめたまま生気のない表情をするようになった。それでも聞かれたことには、ちょっと間は空くが答えは返ってくる。ボケてはいない。だが、自分から周囲の会話に入って来ようとはしない。周囲で起きていることを遮断して自分の世界に入ってしまっているかのようだ。あの話好きの親父とは到底思えない。

老人ホームの生活で何か欲しいものはないかと尋ねると、腕時計がほしいという。ないと困るのだと何度もいう。父の部屋には、いくつか時計があるしホームの中にも時計はある。時間を知るために必要だということではなさそうだ。

父は今でもジャージは履かない。何時も折り目がついたズボンを履いている。普通のスラックスでは着脱が大変なので、デパートのハートフルコーナーでバンドを締めなくてもいいゴムが入ったズボンを以前買って二度ほど送ったことがあった。父は実におしゃれである。腕時計もおしゃれのためだと思う。男には腕時計は必需品だと思っているに違いない。90歳でも男を意識しているとは大したものである。

しかし、ホームの規則で腕時計の携帯は許されていない。携帯電話も禁止である。管理上の都合かもしれないが、入居者の気持ちに沿って考えてほしいと私は思う。父が携帯電話を持たなくなってからは、会いに行かない限り声も聞けなくなってしまった。

こんな風に書くと、私は父親思いの孝行息子に映るかもしれないが、年に何回か訪ねるだけである。何の世話もしたことはないし、全てを兄に任せきりである。

私は父とことごとく対立してきた。年を取ってからも、母のことはいつも気にかけていたが、父のことは露ほども思ったことがない。私にとって父は、反面教師以外の何者でもなかった。もちろん、今ではそんな反発や感情は消えてしまったが、何故か、照れくさくて父と正面から向き合うことができない。会っても10分も間が持たず困ってしまう。

それでも元気に生きていてほしい。母が亡くなったときは、取り残された感覚がして無性に寂しかった。こればかりは順番だから仕方ない。来るべきときは必ずやって来るのだろうが、父は意外としぶといから100まで、いやもっと生きるかもしれない。是非、そうあってほしいと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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