車の買い替え

*風のメルマガ「つむじかぜ」710号より転載

2003年に買った車が17年目を迎えた。故障もせず元気に走ってきた。その愛車が、年末から段差を越えるときなどに後部でギシギシと音がするようになった。ディーラーに診てもらったら、「サスペンションが劣化しています。交換すると20万円近くしますがどうしますか。年式が年式ですからねえ」と、暗に“買い替えましょうよ”いう意味を込めてか、半分あきれ顔でいわれてしまった。

確かに、年式は古いが走行距離は6万キロを少し超えた程度。そんなには乗っていないのに、と思ったが、サスペンションを交換すべき時期は“新車登録から10年経過または5~8万キロ以上走行時”なのだそうだ。「なるほど、こりゃあ仕方ない、車を買い替えなければ」と思い、あれこれ調べてみた。今は、ネットで見積もりも簡単にできるし、“〇〇の乗り心地”などと検索すれば、複数で試乗レポートが見つかる。もちろん、実際に自分で試乗して体感しないと解らないが、何せ時間がないのでありがたい。

同じ車種でもグレードがあるが、シートを革張りにすると驚くほど高くなる。30万も40万もする革張りのソファーなんて通常買わないのに、車になるとそれが売れてしまうのだから、車とはやはり嗜好品なのだ。むしろ値段が高くて贅沢なことに価値がある。“ステータスの象徴”とまではいわないが、車に関しては、やはりそういうところがあるのだろう。それにしても、20万を超えるカーナビの、その値段の高さには呆れてしまう。

前にも書いたが、安全装置は昔と比較にならないほど充実したものの、その分車自体の値段も高くなっている。電化製品もPCも、あっという間に値段が下がってしまうのに、何故か車は下がるどころか年々高くなる。若者の車離れなどというが、トヨタの年間生産台数は1,000万台を超え、純利益は2兆円近い。なのに“儲けすぎだ”などという批判は出ない。

自動運転が間近だといわれているが、次回、車を買うときにはどんな形になっているのだろう。車がしゃべっていろいろ教えてくれるのは当たり前。きっと、機械というより、走るコンピュータのようになるのだろう。楽しみでもあるが不安でもある。「マニュアル車のあの手に伝わってくる感覚がなけりゃ車じゃない」などとは言わないが、やはり、機械らしい車に安心感を覚えてしまう。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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